| 自己 紹介 |

私の家族は転勤一家で、大阪府堺市で生まれた後、富山、名古屋へと移り、さらに横浜市内でも三箇所住まいを移しました。 転勤が影響してか、幼少の頃は内向的で泣き虫だったようで、小学生の時の通信簿には、「お子さんは泣かずにおしゃべりが出きるようになりました」とか、「泣かずに全部給食を食べられるようになりました」と書かれていました。また、学校の授業にもついてゆけず、何かにつけ母に頼み、他の生徒に電話をしてもらっていました。この様に、幼少期の私は親に頼るばかりの自信の無い子供でした。 「親に頼るばかり」の幼少の頃の私はすっかり変身し、結婚と同時に夫の海外赴任に同行しましたが、当時の私は不安どころか自信すらありました。あれから早6年、色々と苦い経験もいたしましたが、私のアメリカ生活を振り返り、何が一番の思い出か申し上げるとすれば、やはり息子 涼平を出産した事です。もう親にはなるべく世話になりたくないという気持ちと、実際夫と私の両方の両親が皆現役で働いていたという事で、誰の助けも呼ばずに出産しようと決心しました。 大きな誤算があったのは、臨月に入って逆児となり帝王切開に切り替わったことです。出産後のベッドの中でひっそり「助けも呼ばずにお腹を切ってしまい、無茶な事をしてしまった」と泣いたのですが、そんな感傷に浸る間もなく看護婦の方に「どんどん動きなさい」と叱咤激励され、手術の10時間後にはトイレに立って歩かされるという信じられない扱いを受けて「そうか、私は病人じゃないのだ」とかえって励まされたのを憶えています。 さて、息子の出産の次に来る思い出が、私のカレッジ生活です。一年間ESLを続けた後、いよいよESLを卒業という段で息子の出産予定日と重なることに気付きました。普通なら、ここで出産に備えて止めるのでしょうが、以外にもこの時、ESLクラスのディビッド先生が私のカレッジ継続を支えて下さるのです。出産前に先生に頼みに行った時の事、「お願いがあるのですが」と申し上げると、「あなたのお腹を見れば分かります」とおっしゃり、「よいですよ」と笑顔で即答されました。つまり、出産を控えているがクラスは最後まで終わらせたいというお願いを察して下さったのです。そんな訳で、出産後は代わりに主人が出席する事となりました。「ESL」にです。主人は、夕方毎回クラスに出て、私の宿題を提出し、ノートを取ってくれました。 ディビッド先生の理解と、主人の支援で私はESLを卒業できたのですが、実はこれにとどまらず、さらに早朝のクラス、土曜のクラス、そして通信教育も利用しておととしにはCollegeを卒業する事になりました。さらに、機会があれば大学にも編入したいと考えています。 10代の頃にかかえていた、説明のつかない焦りや苛立ちというのが、実は結婚後にもあったのですが、子供の成長や、カレッジ生活を通し私の中で少しずつ解消されているような気がいたします。 |