| 自己 紹介 |
我が家は、現在日本に住んでいる大学院2年と大学3年の二人の息子のいる4人家族です。私達夫婦は、今年で結婚25周年を迎えました。 結婚当初は、エンジニアの主人が海外駐在員としてアメリカへ転勤になるとは全く想像していませんでした。そんな私達でしたが、アメリカ生活も通算すると主人が13年、私が12年になります。 東京郊外にマンションを購入したばかりの1979年、主人がロサンゼルス転勤となり、翌年私は3歳の長男と5ヶ月の次男を連れ、初めての海外に出発しました。 1年ぶりの父子対面はとても不思議な光景でした。お腹の大きかった間も出産時も主人はいなっかたので突然5ヶ月の次男を前にした主人は戸惑いながらも喜んでいたようでした。 初めの4年間はハウスオーナーもホームドクターもプリスクールもほとんど日本語が通じてしまう程日系人の方が多く住む地域に住んでいました。幼い子供のいる初めての海外生活も多くの日系人の方々に助けていただいたお陰で海外での子育ても恵まれた環境でスタート出来ました。 主人のオフィスの移動でオレンジカウンティに近いセリトスに転居しました。長男のクラスメートのお母さんからバイブルクラスに誘われ、オレンジカウンティホリネス教会の方々と知り合う機会を得ました。教会の方々との親しい交わりの中、1986年洗礼を受けました。 このクリスマスシーズンになるといつもなつかしく思い出すのが、教会学校に通っていた息子達の劇です。次男はヨセフ様役、長男が劇のナレーション役だったと思います。二人とも良いお役をいただいてとても張り切っていたのを覚えています。 1988年7月住み慣れたLAからサンノセへ転勤となりました。友人の紹介で サンタクララ教会や中山さん宅の白百合会を教えていただき楽しい充実した1年を過ごさせてもらいました。 1989年8月、約9年間のアメリカ生活を終え日本へ帰国しました。その後母の病気、母の死、義父の死とつらく悲しい事が私達を待っていました。日本へ戻り再びアメリカへ転勤になるまでの10年間は、親も子も目まぐるしく変化する情報の中で日々忙しく暮らしていました。そんな時、からっと晴れ渡る青空の下でのびのびと過ごしていたカリフォルニアが懐かしく思い出されました。 私は息子達の学校の役員や野球部の世話役をさせてもらう傍ら、母の愛読していた雑誌「婦人の友」の全国友の会というキリスト教精神が母体にある団体の活動に参加し自らも学びつつ活動のお手伝いをしていました。"思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ"、"家庭は人が育つ苗床"、"家庭は簡素に社会は豊かに"など生活の基本になる良いことを教えていただきました。私も30代の後半の頃は少しでも経済的にゆとりを持ちたいと外に仕事を考えていましたが、、友の会で家計簿記帳を学び夫のお給料だけでも生活できる工夫を知り、家庭味豊かな手作り生活に励んでいました。 1999年3月次男の大学が決まった頃主人がボストン転勤になりました。3ヶ月後私も2人の息子を日本の留守宅に残し渡米しました。アメリカの歴史と文化の豊かに残るニューイングランドの街並みは簡素な中にも豊かさが感じられ、アメリカの建国精神に触れる経験をさせていただきました。初めて自分一人だけで静かな時間を過ごしてみると、子育てを終えた一人の女性として何か社会の為にお役に立ちたいと願うようになりました。 約1年後2000年5月サンノゼに再び転勤となり、11年振りにサンタクララ教会の懐かしい方々にお会いできました。現在、白百合会を通じてまた若い方々とお知りあいになれてうれしく思っています。こうして振り返る年月の歩み、いろいろなところですばらしい方々とお会いできた事すべて神様のご計画の中で守られ導かれていることに感謝いたします。 |