| 自己 紹介 |
それまでキリスト教にまったく縁がなかった私がこの教会を初めて訪れたのは、約3年前のことです。夫の転勤に伴ないアメリカに来て半年が過ぎた頃でした。こちらに来たとき妊娠7ケ月でしたので、すぐに出産、そして慣れない育児に追われ、外出する機会もあまりなく、親しい友達もまだいませんでした。 そんな時に、日本人の方と知り合いになれるチャンスがあればという軽い気持ちで、白百合会に参加したのです。その後、毎週水曜日のKGクラスに通うようになりましたが、それは、聖書に興味があったからで、信仰を持ちたいという気持ちはまったくありませんでした。 聖書を学びたいと思ったのは、子供を持ったことがきっかけです。それまで私は、人間とはどのような存在なのか、そして人はいかに生きるべきなのか、ということなど、深く考えたことはありませんでした。けれども、子供が生まれてみて、そんなからっぽな自分に初めて気が付きました。私には人ひとり育てるに耐えうるべきもの ―― それは人生観とか倫理観とか何と呼ぶのかわかりませんが ―― が果たして備わっているのだろうかと、とても不安になりました。具体的に言えば、少し前に17歳の少年の犯罪が日本で話題になりましたが、自分の子供に「どうして人を殺してはいけないの?」と聞かれた時に、揺るぎない答えを出来る自信が私にはありませんでした。そして、その答えが聖書の中にあるかもしれないと思ったのでした。 でも、最初のうちは、聖書の御言葉は頭の上を通り過ぎていくだけでした。神様は信じるとしても、何故そこにイエス様の存在が必要なのかということは、なかなか理解できませんでした。説明を受ければ受けるほどわからなくなり、キリスト教とはなんと難しい宗教なのだろうと思いました。 それでもKGクラスに通い続けたのは、正直言って、週に一回でも子供をフリーで預かってもらえて、自分だけの落ち着いた時間が持てるということが大きかったかもしれません。また、教会の方達が本当に気持ちの良い方ばかりで、今までクリスチャンに接したことのない私にはかえって戸惑うくらいでしたが、御一人御一人が輝いて見え、私もあんなふうに生き生きと毎日を送ることが出来たらいいな、とうらやましく感じると同時に、信仰を持つことで私もそのように変われるのだろうかと、考え始めるようにもなっていました。 そんなとき、次のような聖書の一節に出会って、大変に感銘を受けました。「私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。(コリント人への手紙第一 7章7節)」「わたしの目には、あなたは高価で尊い。(イザヤ書 43章4節)」人はみな、神様によって世界にただひとつの能力や個性がそれぞれに与えられていて、一人一人が尊敬されるべき価値のある存在なのだ、とはなんと素晴らしい御言葉なのでしょうか。どのように子供を育てていったらいいのか悩むことが多い毎日にあって、この御言葉は私の指針となりました。このことがきっかけとなって、役に立つ部分を見つけ出していくようなつもりで聖書を読んでいたのが、次第に聖書の御言葉が自分を形造って下さるのだという素直な気持ちで聖書を読むことができるようになってきたのです。すると、イエス様が神のひとり子であるということも段々と自然に受け入れられるようになってきました。 それでも、信仰を持つことにはまだ迷いの気持ちがありました。聖書は全部わかったわけではないし、神の存在は目に見えて確認できるものでもありません。ですが、学びの時を持つたびによく聞く「…と私たちは信じているのです」という言葉に、ある時はっとしました。知識を豊かにすることや確証を追い求めることに意味があるのではなく、信仰とは結局、ひたすらに信じることなのではないか、そして、信じることこそにより力が生み出されるのではないか、と気が付いたのです。また、聖書は「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。(伝導者の書 12章1節)」と言います。聖書を全部理解してからなどと思っていたら、その前に一生が先に終わってしまうかもしれません。いろいろ思い悩むよりも、神様とともに送る生活を実際に一日も早く始めることだと思いました。そして、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる祈り(信仰告白)をしました。すると、それまでの不安な気持ちがすっと消え、何とも言えない平安で心が満たされていくのがわかりました。そして、昨年の暮れのクリスマスには、この教会で洗礼を受けるに至りました。 だからといって、急に自分が変わったわけではありませんし、3歳と1歳になる2人の子供の育児に追われ、落ち着いた時間もなかなか持てない状況で、クリスチャンとしてこれから先ちゃんとやっていけるだろうかと不安にもなります。でも、信仰を持つということは、そこから新しく生まれ変わって赤ちゃんの状態から成長するものだそうです。だとすれば、私も、階段を一段一段登っていくような気持ちでこれからの信仰生活を送っていけばいいのだと思います。 おりしもNYのテロ事件が起き、人間が何かを信じる力が持つ恐ろしい面も痛感しますし、また、どの宗教がいったい正しいのか、信仰を持つとはそもそもどういうことなのだろうかと考えさせられます。しかし、聖書を読んで、これは間違いのないものだと感じた自分の気持ちをいちばん大切にし、私が選んだのでなく、神様が私を選んで下さったのだと信じて、イエス・キリストに従っていきたいと思っています。 |