神様の恵み−adoption(養子縁組)−

山下ミッシェル(教会英語部副牧師夫人)

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8:28)

私はNew York で生まれ、育った2世です。学校に行くまでは日本語しか話しませんでした。教会は、ずっと生まれた時から行っています。中学までは日語部のサンデースクールに参加しました。私は中学の頃から、英語の方が得意になりました。ある日、自分で寝る前に祈っている時に、神様にこう言いました。「今日からは、英語で祈ることにします。」

 中学に入ると、教会のユース・グループに参加することが出来ました。とても楽しい時でした。教会に行くのも楽しみで、時々、母が教会を休むと、夜寝るまえ、泣きながら寝ました。その頃は、聖書のことよりも教会の友達と交わることを目的としてユース・グループに行きました。

 16の時、父が、カリフォルニアに転勤になりました。引越して一番最初にしたことは、マウント・ハ−モンという一週間のクリスチャン・キャンプに参加したことでした。その時に初めてクリスチャンというのが、どういう意味か分かりました。イエス様は私の罪のために死んで下さり、三日目に甦り、今でもいつでも一緒にいて下さるのだと分かりました。その時からどんなことがあっても、いつも神様に信仰をもって祈って、神様の御心に従うようになりました。神様って不思議な方です。私たちの計画をちゃんと前から立てて下さいます。

 主人のLesterとは、Winter Visionというユース・キャンプで出会い、Santa Clara Valley教会に来る事になって、1996年の5月に結婚し、もう6年になります。結婚後は、いつ子供ができてもいいと思っていました。希望としては、こどもが3人でした。主人は、私より13歳年上なので、早く子供が欲しかったのです。結婚して4年目になっても、なかなか妊娠できませんでした。医者に通おうか、どうしようかと迷いました。養子はどう、と友達が言っても、私は絶対養子までして子供が欲しいとは思いませんでした。医者には半年位通いました。検査をしたり、薬を飲んだりしました。それでも駄目な場合は、次の治療がありました。その時は、何か心の中は不安が一杯で、どうしようかと迷いました。再び、養子のことを考え始め、セミナーに行ったり、インターネットでリサーチしたりしました。養子を貰うなら日本からがいいと思いました。母にこのことを話したら、もう完全に反対されました。

 ある養子縁組の斡旋機関にコンタクトして、日本から赤ちゃんを養子にする書類を送って貰いました。費用を見てびっくりしました。日本だけの費用で6万ドルでした。まさかそんなお金はありません。養子のことはまた諦めました。医者にまた通おうかと迷っている時に、また不思議なことがありました。去年の1月にLesterが教会の若い子たちをWinter Visionのキャンプに送りに行きました。キャンプが終わって、ゲストスピーカーを飛行場に送る途中、そのspeakerはLesterにお子さんはいますか、と聞きました。Lesterはいないけれど、欲しいですと答えました。そうしたら彼は自分の経験を飛行場に着くまで話し続けました。彼は、中国から3人子供を養子にしました。養子縁組がどんなに素晴らしいものかをずっと主人に話し、養子を貰うことを強く勧めました。彼がadoptしたagencyのインターネットのアドレスを貰いました。

 私たちは、そこから詳しいinformationを送ってもらいました。祈って考えている間にsocial workerから電話があり、adoptionのこと決めましたかと聞かれました。もし興味があれば、applicationを送りますと言いました。私たちは、まだどうしようかと迷っていましたが、祈っているうちにだんだんとadoptionの道が開けてきました。いつのまにか私の心と考えが変わって、もっとadoptionのことを考えました。

 韓国はadoptionに関して厳しいルールがあります。私たちの問題は年でした。44.5歳を過ぎた人は韓国から健康な赤ちゃんはadoptできません。Lesterはその年の12月で43になるところでした。年のことを考えると早くapplicationを出さないとadoptionのチャンスがなくなるのです。まだ妊娠をしてみたい気持ちがありましたが、医学の手助けによってすぐに妊娠するとは限らないので、先にadoptすることにしました。3月13日にapplicationを出しました。母にはそれを出してから言いました。そのときもまた反対されました。

 書類をたくさん集めてsocial workerに3回会って、私たちのreportを書きます。健康検査をし、AIDSがないかどうかも調べられました。指紋もさせられたり、銀行にどのくらいお金が入ってるとか、全部調べます。

 INSから返事を待つのが大変でした。3月にapplicationを出して、9月26日にsocial workerから私たちの赤ちゃんが決まりましたと電話がかかってきました。8月27日に生まれた、健康な男の子ですと言いました。Kenは1ヶ月でした。その時はとても嬉しかったです。二日後に写真が見れることになっていました。気分がわくわくでたまりませんでした。2枚の写真をもらいました。母は写真を見た時から、態度が変わって来ました。だんだんとexciteしてKenが来るのを待ちました。(今はもう完全にKenのことを愛してくれてみんなにKenの写真を見せびらかしています。)

 アメリカのINSと韓国からKenのビザの許可が下りるのを待ちました。ベビー・シャワーを皆さんにしてもらって家中に赤ちゃんのものがたくさんになりました。クリスマスまでに来るようにと祈ってもKenは来なかったです。日にちが経つほどKenが大きくなってしまうので待つのが辛かったです。12月が過ぎて、1月、2月、今日かな、今日かなと電話が鳴るのを待ちました。なるべく家を出ないようにして、電話が鳴るたび、心臓がドキドキしました。2月27日の午前中は、とても悲しかったです。Kenはもうその日で6ヶ月になるのでした。でもその晩の10時10分にsocial workerから電話があり、Kenのビザの許可が下りたので迎えに行ってもいいですよ、と言ってくれました。電話がなって主人と二人で踊りながらみんなに電話しました。

 私たちは1週間後に韓国に行って、3月13日にKenを連れて帰って来ました。その時は、生後6ヶ月半でした。もうハイハイもしてとても機嫌のいい子で良かったと思いました。すぐに私たちに慣れてくれました。

 あっと言う間にもうKenは1歳になり、あっちこっち歩き、忙しい毎日を過ごしています。親ばかですが、こんなに素晴らしい息子を与えられて感謝しています。Kenはとてもラッキーです。教会の皆さんにとても優しくしてもらい、彼が来るまでずっと祈っててくださったのです。