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自己紹介B. 真由美 |
私が主人の転勤に伴って日本からサンノゼにやって来たのは1998年8月28日のことで、当時長女は4才、次女は1才でした。その頃は、極度の家不足で先にこちらへ来ていた主人が見つけた家に引越したのは、前住人が出て行った翌朝という有様です。ハウスクリーニングも充分に施されていない新居で最初に会った憂き目は、この家にノミがいたことでした。早速、大家さんに連絡して、害虫駆除の人に来てもらいましたが、「何か、ここでの生活は大変な感じだな」と幼子2人抱えて、とても不安でした。
さて、住居の次に見つけなければならなかったのは、長女の学校でした。8月末のことで、我が家の校区の公立学校はすでに満員。近所の人のアドバイスを得て、何とか近くのプライベート校を見つけました。簡単な面接テストもクリアーして、めでたく入学することに、、、。が、ここでまた問題発生。それは、学校に提出しなければならない予防接種の記録です。その規定を満たすのに、ポリオワクチン、TB反応の注射等、計5種類の予防接種が同時に長女に行なわれたのです。主人が抑え込んでも痛さに泣き叫ぶ我が子を見て、涙が止まりませんでした。そして、案の定、1週間後、長女の全身に赤い湿疹が広がり、大変かゆがりました。ところが、小児科医の先生は「原因が分からない」として何もしてくれず、自然治癒を待つしかありませんでした。
更に大変だったのは、TB反応の結果です。子供達は日本でBCGの接種を受けていたので、結果は陽性反応を示しました。従って、子供2人とも胸部X線写真撮影、及び6ヶ月にわたる、発病を抑える薬の投与となりました。この薬がまた曲者で、便を柔らかくする副作用があり、長女は学校に通いながらの服用でしたので、トイレが間に合わなくて困ったこともありました。でも、本人は良く頑張りました。
幸い、主人が見つけた家の周辺には、私共の子供達と同じ年齢の子が8〜10人いて、親同士も同世代で、子供が行き来するうちに、親の方も交際を始めたという感じです。しかし、やはり日本人の私は近所の人の輪に入り切ることができず、絶えず疎外感を抱えていました。そんな時、主人のアドバイスで、お母さん達を招いてレディーズ・ランチを催し、私という人間を知ってもらう、また私も彼女達のことを知らせてもらうというきっかけを作りました。準備等、大変でしたが、「本物のジャパニーズ・フードね!」とみなさんに喜んで頂き、大成功でした。
主人は日本の会社に勤めていますので、他のアメリカの会社で働いている方々よりも接待とか、勤務時間外での付き合いというのが多くあります。けれども、日本で暮らしていた頃は、朝7時に家を出て、夜11時に帰宅。そして休日出勤も当たり前という生活でした。それが、今ではほとんど毎日、朝晩とも親子4人で食卓を囲むことができます。子供達の学校のボランティアにも父親として参加する時間があります。
こちらに来たばかりの頃、何を作って子供達に食べさせれば良いのか、途方にくれたこともあります。何度、「日本に帰りたい」と思うような出来事があったでしょうか。でも、今では買物に行けば、誰かに会うほどに知人の輪も広がりました。日本では行けなかったスポーツジムにも、こちらでは手軽に入会できる所もあります。4年半経って、やっと遅まきながら「アメリカで楽しむ法」を見つけたような気がします。