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神様の楽譜〜〜榊原宣行・久美子夫妻コンサート(9/12/03)より〜〜榊原久美子 |
私が声楽を始めたきっかけは、中学三年の時でした。全校合唱という時間があり、その時に突然、音楽の先生から「ちょっと、前に出てきなさい」と言われました。800人ほどの生徒の前で「『赤とんぼ』を歌ってみてちょうだい」とのことでした。それまでは、人前で歌ったり、親の前でもそんな風に歌ったことなどなかったものですから、「絶対いやです」と言って、みんなの後ろに隠れたのですが、みんなに前に引っ張られて、歌うことになりました。なんとか頑張って歌ったのですが、その時、それを聴いた友人が、たまたま声楽を習っていました。彼女が,その当時「お小遣い程度で歌を見てもらえる」というので、それだったら、何とかなるかなと思いましたし、自分がお母さんになった時、子供に子守唄を歌ってあげられるかなぁ、という位の軽い気持ちで歌を習い始めました。それが、その後、何年も声楽を習うきっかけになりました。
この「赤とんぼ」という歌は、三木露風が作詞、山田耕筰が作曲しています。この曲には、不思議なきっかけ、神様を知ることになるきっかけというのが含まれている、ということを後で知りました。
(榊原宣行師:「赤とんぼ」という曲は、皆さんご存知だと思います。日本で愛されている曲の第一位だそうです。哀愁に満ちた曲ですね。作曲の山田耕筰は、クリスチャンの家庭に育ったと聞いていますが、作詞の三木露風も、のちにクリスチャンになった方だそうです。歌詞の一番から三番までは、幼い頃、姉やの背に負われて見た、赤とんぼを懐かしく思い出しながら作ったものです。楽しかった時が幻のように過ぎ、おんぶしてくれた姉やが、嫁に行ってしまって淋しい、という内容です。三木露風は、幼少の頃、親から離れ、人に預けられたり、という悲しみを背負った人だったのです。
ところが、四番は、「止まっているよ、竿の先」という言葉で終わっています。「竿の先」とは、「十字架」のことなのではないか、と言われています。彼は、哀しみの人生を背負ったのですが、最終的に「十字架----イエス・キリスト」に出会って、平安を得た。赤とんぼが止まるところもなく疲れ切っていたところに、ふっと、竿の先に休み場を見つけたように、彼も「イエス・キリスト」に安らぎの場を見つけたということを、この歌詞に託したのだと、言われています。このことを、妻の久美子も後に知ったのです。)
声楽を習い始め、上達する一方で、自分の心に対する問いかけが始まりました。それは、歌を歌ったり、楽器を弾いたり、美術でも、何でも同様だと思うのですが、「果たして、私の心はどうなのかな」という問いかけでした。「歌う」ということは、「自分の心の中が外に出てしまうのではないか」と感じ、行き詰まりを感じるようになりました。------私の心には本当に「愛」があるだろうか。私は誰かを憎んでいないだろうか。蔑んでいないだろうか。------レッスンの度に異常に萎縮してしまう私に対して、先生が一言、こう言いました。「おまえ、どうにかしてくれよ。その心が問題なんだよ、、、。」いつも自分を否定し、いくら先生に褒められても、「冗談でそう言っているのだ。人を信じることはできない。」私は、そういう性格で、先生も頭を悩ませるくらいに萎縮してしまう人間だったのです。”どうして自分に自信が持てないのだろう。何故、自分をいつも否定するのだろう。何故、私の心には「愛」がないのだろう、、、。”
私が、3歳くらいの時、両親が別々の生活に入るようになりました。そして、新しい父が私を育ててくれるようになったのですが、その生活の中で、新しい父は、私をなかなか受け容れることができなかったのです。―――今になって考えると、葛藤があったのだろうと思います。しかし、私はそんな親に反発し、本当に周りのいろいろな人を蔑むようになっていました。”自分は愛されてなんかいない”、そういう確信があったのです。外側では、いつも元気に明るく振舞い、、冗談も言うし、悩みごとなんか一つもないように見せかけている、、、。でも、心の中はいつも悲しんだり、叫んだり、自分を否定する思いで一杯でした。どうしたら、自分は「愛」のある人間になれるのだろう。「愛」のある歌を歌うことができるのだろう、、、。
高校3年生の時に、なぜかクリスチャンでない友人が、三浦綾子さんの「塩狩峠」という本を貸してくれて、クリスマスも、なぜかクリスチャンでないお友達と一緒に教会に行ったのです。それから、十何年も教会に繋がっています。
教会に行くようになって、変わったことがありました。自分で変わろうと思っていたのではないのですが、自然に自分の父や母、そして周りの人々を本気で「尊敬する」という気持ちが生まれているのに気づきました。それは、「この日から」というのではなく、気がついたら自分がだんだん、変わっていたのです。それまで父親に触れることさえ出来なかった私が、平気で父の肩を揉んだりできるようになっていたのです。なぜ自分がこんなに変わったのか本当に、いつからそうなったのかは分かりません。
もう一つは、自分は「価値がある者」なのだ、「大切な人間」なのだ。この世界、全てを失っても代えることが出来ない「尊い存在」なのだということを教会に来て、学ぶことが出来ました。「このままの姿で」という曲があります。いろいろな人と比べたり、本当にそれで落ち込んだりするような、そういう者ですけれども、バラはバラのように、スミレはスミレのように、鷲は鷲のように、雀は雀のように、そのままで良いのだ、とその曲の歌詞にあります。
私には七歳の娘と四歳八ヶ月の娘がいます。六年前、一歳の長女を連れて米国に来ました。次女を妊娠中、悪阻がひどかった一人目と違って、二人目はひどくなかったのです。だから張り切ってしまったのです。すると、天井が回るほどのめまいで、いきなり倒れてしまいました。妊娠八ヵ月で入院することになってしまったのです。点滴を打たれて、まな板の上の鯉のようになってしまいました。それから高熱、副鼻腔炎になったりで、悲惨なことになってしまいました。まだ二歳になったばかりの長女と大きなお腹を抱えた私は、どうしてこんなことになってしまったのだろうと、とても落ち込んでしまいました。そんな中で生まれた曲が「心騒がせず」という曲です。 お腹にいる赤ちゃんの笑顔を思い浮かべ、優しい気持ちになりました。慌てることなく神様が与えてくれた、「この時」に身を委ねて、お任せすれば、----賛美、感謝を捧げれば、全てのことが最善に変えられるのではないかと思ったのです。
そのあと、三人目を神様が与えて下さった時、ひどい悪阻が襲ってきました。覚悟はしていたのですが、息をするのもやっと、というような悪阻で、歩くこともままならないほどでした。ようやく四か月を過ぎて、悪阻が落ち着いてくる時期に「ああ、ようやく終わって、美味しいものも食べられる、楽しい妊娠生活が送れる」と思った矢先に、検診で「あなたの赤ちゃんの心臓はもう動いていません」と言われたのです。産婦人科の先生がバタバタと慌てているのですが、英語のため、私には起こっている状況がよく分からなかったのです。何か勘違いをしているのではないだろうか。私の聞き間違いでなければ、「赤ちゃんの心臓が止まっている」と言っていたような気がする。でも、画面に映っている赤ちゃんは、もう立派な人間になっている。だから、そんなはずはない、と思ったのです。
その後、最新式の超音波で調べても、もう明日手術しなければ、母体が危険になると言われたのです。その時に、何故、あんなに辛い思いを我慢して、赤ちゃんもこんなに大きくなっているのに、こんなことが私の身に起こるのだろうと、受け容れることが出来ませんでした。そして、翌日の手術の時も「もう一回、超音波で見て下さい」ってお願いしたのです。先生は、何とも言えない表情で、超音波を当てて「ごめんなさい」と一言、言ってくれました。そして、手術が無事に終わりましたが、しばらくは、その現実を受け容れることが出来ませんでした。
でも、その時、またこの歌が浮かんで来ました。2番の歌詞に「試み――試練ですが――、悲しみの中を歩いた時も、強い心を持てました。心騒がせず、神に身を任せ、祈りを捧げれば すべてのことが美しく変えられて行く」。こんなことが起こるなんて、予想もしなかった時に作った曲ですが、「ああ、たった四か月でも、赤ちゃんは私たちにたくさんの喜びを与えてくれたし、生きる力や生命の大切さを教えてくれた。今、与えられている子供、そして私たちも偶然ではないのだ。生きているということはすごく価値のあることなのだ」ということを本当に教えてもらったような気がします。そんな気持ちが込められているのが、「全てのことが」という曲です。
「神様は計画なしに私たちの生涯の楽譜を書きなさらない。」---ラスキンという人が言っています。私たちは、一つひとつ、神様の素晴らしい譜面に書き綴られた音楽(ミュージック)、楽譜なのだということを日々思っています。
長女が生まれた時に作った曲「おやすみなさい」をご紹介します。blo
こどもたちよ おやすみなさい神様の愛の中に包まれて、安心してこの生涯という、神様の楽譜に綴られた曲を奏でる者でありたいと願っています。
優しい母の 香りに包まれて
まどろまず 眠ることなく
あなたを瞳のように
守られる神様が ともにおられるから
こどもたちよ おやすみなさい
強く広い 父の腕の中で
まどろまず 眠ることなく あなたを瞳のように
守られる神様が ともにおられるから