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愛のレシピ
榊原邦子
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今春、私が書いた3冊目の料理の本が出ますが、私は、もともと料理が好きという人間ではありませんでした。全くの素人です。牧師の家で育ち、母はいろいろ工夫して料理を作っていましたが、貧しくて卵の料理を作った事もなければ、食べたこともありませんでした。そんな風に育った私が、結婚し、自分で料理を作らなければならなくなったのです。母と一緒に作ったこともなければ、材料を工夫して料理したという経験もなかったのです。
そんな私が、いちばん最初にしたのは、新聞にあった、「今日の料理」というようなコラムを切り取って料理を作ることでした。でも恥ずかしい話ですが、「大匙1杯、小匙1杯」ということさえどんな量なのか分かりませんでした。砂糖の「種類」や「湯せんをする」などということも分かりませんでした。でも作ることが私に与えられた仕事の1つであると捉えて料理をしていました。
でも、息子が小学生の時、母の日に教会学校で書いたカードの中に「お母さん、母の日おめでとう。いつも教会のこと、僕たちのこと、おいしいご飯をありがとう。」そして、最後に「いつまでも紛れもなく僕のお母さんでいてください。宣行」とありました。その言葉には私の心にズシッと来るものがありました。
その頃、私たちの教会はゼロからのスタートという時で、夢中で一生懸命でした。------お母さんは本当にいつもいつも教会のことに精一杯だけど、食卓の上にはご飯が載っている。------でも子供の目で「お母さんは教会のことは一生懸命だけど、お母さんの心はテーブルの上にはないぞ」ということを子ども心に感じとっていたのかもしれません。彼はそういう手紙を書いたことを覚えているかどうか分かりませんが、それが、私が料理に対する考えを変えるきっかけになりました。
子どもが、「母親の存在を知る、間近に感じる」ために母親の気持ちを一番伝えられるのは食事ではないか、と思いました。そして、もっとそのことに心を込めなければいけないと思いました。お祈りしていくなら応えてくださる神様にこのことを一生懸命お祈りしよう、お祈りしていったら、料理を作る知恵、力も与えてくださるのではないかと思いました。教会のこと、自分に与えられたことを一生懸命したら、同じように自分の家族、家庭、食卓のためにも一生懸命力を注ごうと思うようになりました。
家庭集会で料理教室をする中で、一人でも多くの方が教会を近く感じられればいいな、そして聖書を知るようになったらいいな、と思い、料理をするようになりました。プロではありませんので、すべてに専門的ではありませんが、本を買って使ってくださっている方々は、「素人の書き方なので分かりやすい」と仰ってくださいます。
料理をしていく中で、心がけていることがあります。私の好きな言葉に、「心の繋がりは食でもつ。手を抜いても心を抜くな」というのがあります。本当にそうだと思います。心のつながり、一番身近な家族、お友達関係の繋がりは一杯のお茶、コーヒーを通して、広がっていきます。「良い香りですね」というように会話が繋がっていきます。そして、良い友達関係ができ、教会へとつながります。
私たちは忙しくて、なかなか手をかけて料理を作れない時もあります。でも、いつもそうであってはいけない、と思います。何かを一生懸命したら、同じように「思い」、「心」を食卓に表わすことが家族との良い繋がり、信頼関係を作り上げて行くのではないでしょうか。
どうしても出来ない時もあります。でも、普段心がけている中で、「あ、お母さんは心を向けていてくれるな」と伝わっていると、たとえ出来ない時があっても、許されていくのではないかと思います。
聖書の中に「塩で味付けられた、優しい言葉を遣いなさい」とう言葉があります。私は、それを大切な言葉として覚えています。教会で、お正月にお汁粉を食べたいということがありました。小豆から2日くらいかけて作りました。実は私はお汁粉を食べるのが苦手なのです。それでお祈りしながら作りました。どの程度お砂糖を入れたらよいのか分かりません。作ってみると、塩を入れなければ味が締まらないのです。塩が大切なのだなと改めて思いました。皆さん、美味しいと言って食べてくださいました。このように私は自分が嫌いなもの、苦手なものも料理で作ります。自分が食べたいものはほとんど作りません。身体のために良いものを考えながら作ることが「心を抜かない」ということだと思います。
食というのは、お互いの心の繋がりのためでもあります。子どもが起こす事件や幼児虐待などがありますが、その背景にどれだけ豊かな食生活をしてきたか、が関係しているそうです。母親がどれだけ心を込めた、そして、会話のある食卓の家庭で育ったかが、それぞれの人生の生き方、人間性にまでも関係してくるとありました。日本で、そうしたことが言われていますが、今、アメリカでも「食卓を家庭に取り戻そう」ということが課題になっていると聞きました。
子どもが成長したら、私たちも二人の生活が長く(主人が留守の時は一人だけになりますが)、二人なら二人なりの食卓を大事にします。一人だけの時は、煮物を二,三人分作ります。そして、一人で生活していらっしゃる方に届けます。「今日は、あの人にお届けしようかな」と思うと、心を込めて、いろいろなアイディアが浮かんできます。相手の方も喜んで下さるし、私の作り甲斐もあります。
主人は糖尿病になって18年位になりますが、糖尿病患者のための食事を先生が教えて下さった時に、「できるだけ多くの、最低でも5つの器を使ってください。ちょっとしたものでも、器に入れて、目に豊かなものにしてください。糖尿患者はカロリーが抑えられて、お腹がすいているので、1つの器の真ん中にわずかなものをポンと置かれたのでは、見ただけで『これだけか』と思います。でも限られたものでも器を変えて並べてあると、お腹が一杯になってくるのです」と言われたのを心に覚えて、18年間守っています。
食事は口でも、目でも、そして楽しい会話の雰囲気で、家族を豊かにし、満腹にし、心を豊かにするのではないかと思います。みなさんの素敵な腕を動かしながら、「心の繋がりは食でもつ。手は抜いても心は抜かず」、まず一番大切な家庭の食卓に「心」を向けていくことが、私たち母親、主婦の働きではないだろうかな、と思います。