母の日に寄せて

O.恵

 風薫る5月の母の日には、いつも賛美歌 510番を心をこめて歌います。
まぼろしの影を追いて うき世にさまよい
うつろう花にさそわれゆく 汝が身のはかなさ
春は軒の雨 秋は庭の露
母は涙乾くまなく 祈ると知らずや
この歌は、
「知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみである」(箴言10:1)
「しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あたなは私の神です。」(詩篇22:9〜10)
の二つの聖書の言葉から作詞されました。少女の頃より今日まで歌への思いは年月とともに様々な意味を与えてくれました。

私のために祈り続ける母は、明治40年(1907年)に生をうけ、今年97歳になります。母は子供を4人生み育てました。それぞれの子供をその与えられた賜物を十分に伸ばし研かせながら、兄弟姉妹いつまでも仲良く助け合うよう育んでくれました。私は、一番末の子ですから母には心身ともにずいぶんと可愛がってもらい、深く親密な愛情をもらい大きくなりました。

成長する過程の、人生の折々に思い悩んだこと、人は何故生きるのか、神とは、死とは、愛するとは、憎むとは、仕事、結婚、出産、子供の教育等々に母は多くの時間を共に悩み、語り、考えてくれました。考え方が衝突し、激しく口論したこともありました。

神さまが、なぜ彼女を私の母としてお与えくださったのかを考えると、その第一の理由は信仰への道を示してくれるためだと思います。母は信仰心の篤い人でしたから、上の姉兄をキリスト教の幼稚園に行かせていた時にキリスト教を理解しようと努力し、それまでの仏教の信仰基盤から聖書を理解しようと努力し、聖書の御言葉から、また歎異抄からいかに生きるべきか、人生の意味は、信仰の道に生きることに見出されると教えてくれました。
「人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によ って義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。」(ガラテヤ2:16)
自分の弱さと愚かさを知って「イエスを信頼する信仰のみが救いへの道」と、心から感謝してうけることが出来たのは、母の愛の導きによると思います。そして母の信仰も無常から永遠の命への希望へと変わっていきました。
「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。」(詩篇131:2)
神さまの愛は、母に無条件で愛されているという確信から受け入れ易く、心に沁み込み留まりました。

母が87才くらいの時だったと思いますが、私は母に「人はどうして老いていくのでしょうか」とたずねたことがあります。母は「私は、人間が歳をとり老いていくのはどういくことなのかを、貴方に教えるために老いていくのです。よく見ておくのですよ」と答えてくれました。

いま母は、特別養護老人ホームでお世話になっています。言葉もほとんど話さなくなりました。一日のほとんどをベッドか車椅子の上でうつらうつらと眠って過ごしています。自分で出来ることはほとんどありませんが、その存在は愛そのものであり、人間の尊厳に満ち、死の不安と恐れから解放され、静かな安らかさと平安につつまれています。毎日訪問して下さる方々に豊かな恵みをあたえています。

母が天国に召される、神さまの「時」がいつなのか私にはわかりませんが、母は人生の最後の大仕事である「死ぬということ」「天国への引越しの準備中」を生きていることを教えてくれています。
「見よ 私は川のように繁栄を彼女に与え あふれる流れのように国々の富を与える。あなたがたは乳を飲み、わきに抱かれひざの上でかわいがられる。母に慰められる者のように わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなた方は慰められる。」(イザヤ66:12〜13)