神様の心って

F. 明子

 私は3年半前にクリスチャンになりました。当時は子供がとても欲しかったので神様に毎日必死で祈っていました。でも神様は私の祈りに見向きもしてくださいませんでした。医者からは「赤ちゃんは難しいでしょう」と言われていたのであきらめてはいました。そんな時、聖書でマリアの祈りに会いました。

「あなたのお言葉どおりこの身になりますように。」(ルカ1:38)

マリアは処女でイエス様を身ごもり、その戸惑いの中で神様にすべてをお任せしたのです。私もこの祈りをしようと思いました。神様がしてくださることならそれが最善であるはずです。神様にゆだねよう、と思いました。それからわたしは「子供のことは御心のとおりになさってください。その結果を平安な気持ちで受け取れる自分にしてください。」と毎日祈りました。でも私は「神様は私に無理だ」と言っているんだから、それを受け入れられる自分としてください、と勝手に御心を決めつけて祈っていました。

平安な気持ちで、と祈っていたのはクリスチャンになっても、友達に赤ちゃんができた事を聞くと「おもしろくないな、あーあ」と言う気持ちが一瞬よぎるからです。もちろんクリスチャンになって沢山の恵みを頂いていることを感じ、うらやましいとか、家で泣いているということはなくなりました。でも、無意識のうちに「よっかた」と思う前に「あーあ」と思ってしまうのです。わたしはこの醜い気持ちが許せなく、その度に神様に祈りました。「神様、この醜い心を私から取り去ってください。友達の幸せを心から喜べる人間にしてください。私の心を作り変えてください」と。1年前ぐらいからでしょうか子供が欲しい気持ちはなくなっていましたが、「あーあ」と思う気持ちはなかなか消えませんでした。

日本の友達に6年間2人目不妊で悩んでいる友達がいました。彼女は私に会うたびにもう一人欲しい訴えていました。最初私は「一人いるんだからいいじゃない」と思っていました。そのうちわたしは彼女に「祈っているね」と言い、本当に彼女の願いがかなうといいなと思っていました。今年の7月彼女から二人目ができたという知らせが届きました。私は本当にうれしく、心から良かったな、と思い、神様に感謝の祈りをささげました。その時、「あーあ」って思わなかった自分に気が付いたのです。私はとてもうれしく、神様に「私を変えてくださってありがとうございました。もうこれで大丈夫です。友達に赤ちゃんができても一緒に喜ぶことができます。神様ありがとうございました。」と感謝の祈りをささげました。そしてこれからは、今春、クリスチャンになった主人と一緒に教会のために、神様のために私たちを用いてください、と改めて祈り、決意しました。9月から念願だった家庭集会を我家でできることになり喜びで満ちあふれていました。

それから2ヵ月後、体の変調に気づき妊娠していることがわかりました。私は戸惑いました。「神様なぜですか?吹っ切れるのに3年半もかかったのに、今さらこんなこと」と神様に文句を言いました。主人とこの気持ちを話していた時、彼が「二人とも吹っ切れたから神様が授けてくださったのかもしれない。僕も受洗して子供のことは神様にゆだねようという気持ちになったんだ」と言うのを聞いて、私は神様が私たちの気持ちの奥までご存知で、待っていてくださった、と思いました。そして私たちに結婚10年目にして起きた奇跡を神様に心から感謝しました。高齢出産で不安もありますが、今は毎日少しずつ大きくなるお腹を見て喜びを感じています。そして神様から頂いた命を無事に出産したいと心から願っています。