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神様の足跡
浅井 美和子
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息子・力也を妊娠中は本当に順調だったのですが、出産時、へその緒が首と体に巻きついていて、頭だけ出てきたのですが、体がなかなか出ませんでした。力也は、息もせず(死んだ状態だったのですが)、その間、酸素が脳に行かずに、脳性マヒになってしまいました。大学病院に入院したのですが、その間も生死を彷徨うような状態でした。産後に医師から「おたくのお子さんは長生きしません」と言われました。「いくつまで生きられるのですか」と尋ねると、「神様ではないからいくつまでとは言えません。普通のお子さんのように生きたり、遊んだり、幼稚園に行ったり、というようなことは考えないでください」と言われました。その時、目の前が真っ暗で、断崖絶壁にいるような感じでした。どこにも逃げようがなく、いろいろなことを恨みました。隣にいる元気なお子さんのお母さんを見ると、(なぜ彼女がちゃんとした子を産んで、うちの子はこんな風になってしまったのだろう)と。毎日、眠れない日々になりました。苛んでみたり、いろんなことを考えてみたり、、、。
そして、成長につれて、人から指をさされるようになりました。日本では、障害が目に見えるといじめに走る傾向があるようで、指差して笑ったり、「病気がうつるからそばに来ちゃいけないよ」とか、怪獣、モンスターと言われてみたり、、、。そういう中で生きてきました。(ああ、この子が大きくなったら、もっといじめられるのだろうな)と思いました。私の住んでいたところは大きな坂がありました。その坂から乳母車ごと手を離して、死んでしまおうかと何度か思いました。そういう辛いところを通ってきました。
その後も彼は相変わらず、入退院を繰り返し、家に帰ることも少なく、ほとんどを病院で過ごしました。彼が8ヶ月の時にサイパン島というところに行きました。どうせ長生きできないのなら、病院の中ではなく、暖かい場所で熱を出さずに少しでも長生きできればいいな、と思って行ったのです。でも、そこで3日間とも、熱を出しませんでした。その後、1週間行きましたら、その時も熱を出しませんでした。日本にいる時は、1週間に4,5日は熱を出していたので、これはすごいと思いました。暖かいところは、これだけ体の悪い子には良いのだと知り、サイパンでの滞在は2, 3ヶ月、4, 5ヶ月、半年、とだんだん増えていきました。
自主トレーニングを始め、暖かい海で思いっきり体を伸ばしたり、砂で足をこすったり、いろいろな形で彼の脳に刺激を与えるようにしました。バケツに小豆を入れて足を漬け、体を揺すり、足の裏から刺激を与えました。米粒、大豆、、、と、いろいろなものを試しました。彼の足の底を私の口に入れて、噛んだり(犬が子犬にするように痛くないように)、いろいろなことをして刺激を与えました。ドクターは何より、刺激を与えることだ、と言われたので、どんなことが良いのかを考えました。普通の刺激ではだめで、ちょっと動物的な刺激などを与えました。
元気になると、彼のオモチャ箱はデパートでした。彼を前に抱いてデパートに行きました。お茶碗、自転車、オモチャ、、、と何でもありますから、良い刺激になりました。叩いてみて、「お茶碗はこんな音がするのよ。スプーンはこんな音よ」と語りかけながら。洋服をたくさん見せて、「リキちゃんはどんな色が好きかな」と言っても、ほとんど反応はありませんでした。「イエス/ノー」の反応もありませんでした。何が好きで、何が良いのか、、、。何も分からないまま。でも私は彼を信じて「これにする?あれにする?」と、赤ちゃん言葉ではなく、普通に語りかけました。
サイパンからハワイに移るのですが、私が海で自主トレーニングをしていると、米国人のご夫妻(生活指導と機能訓練の専門家の方でした)がいらして、私が慣れない手つきでスイミングさせたり、砂で足をこすったり、脇を支えて立たせたりしているのを見て、「私たちに手伝えることがあったら、させて頂戴。私たちは、プロだから大丈夫」と言ってくださって、力也の訓練を手伝ってくれたのです。あとで知ったのですが、その方たちはクリスチャンでした。このように知らない間に私たちの周りにいて下さったのはクリスチャンでした。でも一言も「クリスチャンですよ」と言われたことはありませんでした。(隣にいる力也くん:”Why?”と尋ねる。三和子:「どうしてかね?神様の方法でしょうね」―――彼は今、このように人とコミュニケーションがとれます。当時は、「イエス/ノー」の返事さえ出来なかった子が、今は疑問に思ったことは、このように ”Why?” と聞きます。でも当時は「イエス/ノー」を確かめるだけでも大変でした。)―――私たちの知らない間に周りにはクリスチャンの方たちがいたのです。今、思うと、神様は人やものを使って、「早く私のもとにいらっしゃい」と言われていたのだと思います。このようにして、訓練士の方達によって訓練が始まりました。
そうしている間にハワイの病院で力也の体について疑問があり、そこで診てもらってはどうか、ということになりました。すると、「筋肉が固まってしまっているから、力也の両足の後ろのところを切らなければいけない」ということでした。「こんなに元気になったのに、また足を手術しなければならない、、、。何とかならないでしょうか」と尋ねました。その後は、訓練士の方が、今まで以上に毎日、私の家に通い、朝晩、2回、訓練してくれました。日本のようにギャーギャー泣かせずに、楽しく、彼が好きなように訓練してくれました。
その後、チェック・アップをするからハワイに来てください、と言われて、またハワイの病院に行くと、「筋肉は伸びているから、もう手術をする必要はなくなりました」と言われました。その時は分かりませんでしたが、クリスチャンのご夫妻がどれだけの愛を、この子に注いで、どれだけの祈りがあったことかと思います。奇跡を起こしてくださったのだと思います。今、それが分かるのですが、その時、ノンクリスチャンの私には分かりませんでした。
それから私たちは、本格的にハワイに住むようになりました。病院に通院して、訓練し、幼稚園も紹介して頂きました。そこで初めて出あった先生がやはりクリスチャンでした。彼女が初めて力也に会った時、「実は私、日本語の学校に行ったのよ。彼は、クラスで唯一の日本人だから、少しでも彼とコミュニケーションがとれるように。おはよう、リキちゃーん。」と言ってくれました。片言でしたが、この姿勢というか、彼女の姿に、私には出来ないほどの大きな愛を感じました。彼女はクラスが終わってからも彼と二人だけで、「もうちょっと彼の面倒を見させて」と言って、彼とマン・ツー・マンでヘルプしてくれました。彼女は毎日、彼のために教室の中で祈ってくれました。そして、初めて彼女に連れて行ってもらったのは、カソリックの教会でしたが、その時に私は、初めて賛美を聞き、彼女は教会の中で祈ってくれました。(ああ、彼女は神様を愛しているのだな、どこか他の人たちとちがうな)と感じました。(どこが違うのだろう)といろいろ考えました。他人の子のために泣きながら祈ってくれる先生の姿。自分の子のように、朝も夜もこの子のために時間を費やしてくれた米国人のご夫妻。まだまだ、振り返ると私の周りには神様の足跡がいっぱいでした。
そして、ハワイで生活しましたが、ビザがありませんでした。アメリカに住むビザをとるのは大変で、私たちは、日本の家も何もかも売ってハワイに来ました。この子は長生きできないということなので、お金がなくなるまで、彼が暖かいところで、幸せに少しでも健康になるようにと思って、ローンで買った家も売り払ったのです。日本とハワイを往復し、主人と別々の生活をするようになりました。私はハワイに残って、力也の幼稚園に行ったり、夜中におむつを洗ったりしました。主人は日本に帰って、いろいろな手続きをしていました。そのように夫婦が離れているのは良い状態ではないと思います。いろいろなことが生じまして、主人は女性をつくって、家を出て行ってしまいました。私も妻として立派な妻ではなかったと思いますし、力也に全部費やしてしまっている分、主人に妻らしいこともしてあげられませんでした。そんなことから主人も誰かに目をむけて欲しくて、女性の方に行ってしまったのだろうと思います。
残された私たちの、一番の問題になったのは、お金です。最初は主人が残していった車などを売り、弁護士を雇って、ハワイに住むためのビザを取ろうと思いましたが、取れませんでした。でも学校はビザがなくても力也のために一番良い方法を、と学校に通わせてくれました。そして、何とか小学校を無事に卒業しましたが、その許可をくれた学校の校長先生、副校長先生、みなクリスチャンでした。
それから少し経って、私が病気をしました。糖尿病を患っていたのですが、自分で知らなかったのです。それで、彼とずっと一緒にいて、彼が眠ってしまってから洗濯をし、洗いものをするという生活をしていました。(その当時、力也が心配して描いてくれたのが「ママにキスと菊の花を」という絵です。)
私が本当に具合が悪くなり、目の前が真っ暗という感じで病院に行きましたら、血液検査の680という数値に医師は、「すぐに入院しなさい」と言い、「このままでは、2,3年で目は見えなくなるし、命の保証はしないよ。こんな生活をしていてはいけないよ」と続けました。私は「入院できません。私には子供がいて、この子は預かってもらえないのです。自分で頑張るしかないのです」と言うと、「仕方ないねぇ」と言い、私は入院せず、インシュリンを打つ生活が始まりました。
今まで主人が出て行っても、何とか自力で頑張ってこの子を育て、食べさせて、身障者の母親がすることも、何でも全部1人でやってきたので、私は「何でも自分で出来る」と思ってきました。でも、自分が病気をし、このままでは2,3年しか持たないと言われた時、(こんなに愛しているのに何も自分はしてあげられない、何も出来ないのだ)と気づいたのです。今までクリスチャンの友達がたくさんいて、教会へ行ってみたことがありましたので、「神様が本当に生きておられるのであれば、この私を、この息子を助けてください。」と祈りました。
以前にも、お金がなくなったり、主人がいなくなった時、神様という存在に心が向きましたが、「神様が本当にいるなら、出て来てください。出て来れば信じます」と、そんな風に思っていました。「見えないものを信じる」のは非常に難しいことです。私たちは仏教徒として育っていますから、形あるものにすがろうとします。ですから、(夢の中でも良いから出て来てください。そうすれば信じますから)というような時期があったのですが、私の命が保証できないと言われた時は、「神様、本当におられるなら、どうぞ助けてください」と祈りました。聖書に「重荷を負った人は全て私のところにいらっしゃい。私が休ませてあげます」という箇所があります。「本当に生きておられるなら、助けてください。助けてください。助けてください。すべてをお委ねします。私の重荷を背負ってください」、そういうことを一晩中、泣きながらお祈りしていました。目は腫れ上がり、(ああ、私が死んでしまったら、この子はどうなるのだろう)ということばかりでした。
すると次の日、白人の知り合いから電話があり、「三和子、泣いていても仕方ないから、バイトしない?」と誘われた先が、お土産物屋さんでした。そこの店主は日本人のクリスチャンでした。その方が「教会に行っているのよ」と言われ、びっくりしました。そこは、私が行きたいな、と思っていた教会だったのです。以前、私がハワイに引っ越した時、同じコンドミニアムに日本人家族がいて、 教会に行っていました。子供祝福式の時に一度、誘われて行ったことがありました。(あの教会に行きたいな)と思っていたところでした。すると、すぐに電話をしてくださり、次の日にその教会の先生に会うことができました。その時は本当に不思議だと思いました。でも今は、不思議なことではなくて、神様はすべて、時を整えてくださっていたのだなと分かります。
先生も教会員も歓迎してくださり、それから私たちは聖書の学びをし、洗礼を受けることになりました。罪についても力也が分かるように説明してくださり、洗礼を受けるに至りました。力也は、「洗礼を受けて、あなたは神の子になりました」と言われた時に、「いえ、僕はおかあさんの子です。」と答えました。(会場:笑)「お母さんも神様の子になるのよ」と言い、力也が分かる形で話をし、本人も納得することが出来ました。
ジグソー・パズルってありますね。あれのように、いろいろな神様の足跡を思い出してはめていくと「イエス様の顔」になったという表現が正しいかな、と思います。振り返ってみますと、いっぱいクリスチャンがいて、助けてくれる。神様が遣わしてくださったのだと思います。
私にとっては不思議なことでしたが、神様は一人ひとりに素晴らしいギフトを与えて下さっています。本当に今、神様に感謝です。こんな素晴らしい子供を私に預けてくださっている。口がきけなくても、歩けなくても、でも彼は何よりも幸せだと言ってくれる。「僕はいちばん幸せ」と言ってくれるのです。毎日”I love you.” と言ってくれます。19歳になりますが、ハグをしてくれて、こういう形で毎日、毎日 ”I love you.”、 ”I love you.”と言ってくれる。こんな幸せなお母さん、いませんよね。朝も「おはよう」という言葉とともに[チュッ]としてくれるのです。そして、いつも人のことに思いを寄せ、祈り、自分がどんな病気の時もあの人、この人のために祈る。このような大切な子どもをこんな私に預からせて下さっていることに感謝です。でも、過去の恨み、悲しみ、苦しみなどがなければ、こういうことに気づくこともなかったのです。ですから、苦しみを通ったことも感謝です。これが分からなければ、ずっと傲慢な母親でいたかもしれません。子どもと同じ視線でものを判断せず、他のことに囚われたり、神様をきちんと見つめることが出来なかったと思います。神様のご計画でこの子をこうした形で預けてくださったことを感謝します。私たちはこのようにいろいろなところに出かけさせて頂いて、私たちが今、本当に幸せなのは、神様が私たちを愛し、共に歩んでいてくださるからです。
ある人が力也に「もし、神様が普通の子にしてあげるとしたら、どうする?」と聞いたら、「僕はこのままでいい。神様は僕をつくってくださったのだから、このままで十分幸せ」と答えました。日々、この子も成長しているのだな、と思いました。そういう突然の問いかけにどう答えるかを、毎回、聞いていて、(ああ、こんなことを考えているんだな)と知ります。本当に神様は日々、人をつくり変えてくださっているのだな、と感謝です。
こうして、各地に行き、いろんな方とお交わりができます。どこに行ってもクリスチャンの兄弟姉妹がいるということは素晴らしいことです。初めてお会いしても、はじめての気がしないのです。神様に与えられた特権かな、と思います。神様はそのようにして、神様のうちにある兄弟、姉妹として、同じ神様を賛美し、讃えることは素晴らしいことです。北京に行っても、言葉は分かりませんが、「アーメン」だけは分かります。(すごいな、神様は)、と思いました。北京に行ったときは、本当に感動しました。みなさん、地下礼拝をしています。まだまだ自由な信仰を持てないところです。神様のために牢獄に入れられるのです。でも牢獄から出てきたばかりの方に聞いたのですが、「幸せです」ということでした。信仰のために十何年間、刑務所に入られていたのですが、力也の本を中国語に翻訳してくださったのです。その方は、「神様のために牢獄に入れられ、勉強する時間を与えられたことに感謝です」と言われました。粗末なご飯とベッドだけの中で、神様は彼を用いてくださったというお証を伺いました。(ああ、これだけ神様を愛せるとは素晴らしい)と思いました。私たちもこうしてみなさんのところに来られ、医師から長生きできないと言われた子が19年間、生き、いつ神様が「おいで」と言われるかもしれませんが、毎日を一生懸命神様に生かされ、いつ彼が神様のもとに行っても、その間、神様の仕事をさせて頂いて幸せだったと言えるように少しでも彼を助けられたら良いな、と思います。
彼は、心臓が悪く、痙攣があり、甲状腺が悪く、、、(力也が、「ママが泣きましたから、ごめんなさい」と言ってます。)それから力也は噛み砕くことができませんから、食べ物をまる飲みします。すると血便、血尿が出たりします。また、私は100%熟睡したことはありません。夜中でも力也は急に咳込んだりするので、私は心配で、起きます。痙攣も3分起きたら、救急車を呼ばなければなりません。薬は飲んでいますが、だんだん年を重ねてきて、いろんなところに悪い所が出て来ています。でも、彼はいつも祈っています。救急車に乗るときも手術の時も。検査をたくさんします。いつも祈ります。また、たくさんの人が祈ってくれています。私がこうしていられるのも、ハワイの教会の人たちが祈ってくれているからです。祈りはすごいです。いつも「祈られている幸せ」があります。また、反省できるのもクリスチャンの特権です。神様に愛されている、一人ではない。神様がいつもともに歩いていてくださるということ、とても大事だと思います。私に彼という子どもを預けてくださいました。私は、傲慢で屁理屈ばかり並べているような人間ですが、神様は平等に愛してくださって、ここまで運んでくださって、お話をさせていただいて、本当に有難うございます。
(力也も「ママが長いこと話していて、みなさんもお疲れでしょう。どうもすみません」と言ってます。「話が長いからあくびが出てしまった」とも言ってます。------会場:笑。今はなんでも皆さんの言っていることが理解できます。)
(浅井力也さんはハワイ在住の青年画家で、数々の賞を受賞し、日本のNHKのドキュメンタリーにその姿がとりあげられました。日米各地を始め、香港、北京でも絵画展が開かれ、そのダイナミックなタッチと力強い色彩の作品を通して多くの人々に感動を与えています。4月30日の白百合会でお母様の三和子さんの講演から聞き書きさせて頂きました。)