人間関係について(1)

中尾 照代

人生相談等に寄せられる質問の中で、一番多いのが、「人間関係」に関することだと言われています。誰もが「難しい」と口をそろえる、この古くて新しい問題は、人の世が続く限り、なくなることはないと思います。

私は以前、「相談に答える」仕事をしていたのですが、その時も相談ごとの大半がやはり「人間関係」でした。これは答える方も難しくて、困ってしまうことがしばしばでした。

「人間関係」の問題は世界共通だと思いますが、特に日本人のように、人と人との間に適当な距離を置くことが、うまくいかないような社会では、この問題はお互いに大きな重荷になってしまうようです。家庭の、職場の、地域の、各種グループの人間関係に悩み、傷つき、疲れ果てている人の何と多いことでしょうか。

また、昔と違って、子どもの頃から「人間関係のあり方」を肌で覚える機会がめっきり減っている現代ではなおのこと、この問題は深刻になって来ています。「人間関係の崩壊」ということも叫ばれています。「病める社会」と言われる要因の一つは「病める人間関係」ということかもしれません。

教会も人の集まりですから、「人間関係」の問題は避けて通れないのですが、しかし、これは何も特別なことではなく、自然なことなのです。自由な人の集まりである教会には種々な人がいて、種々な意見や好みの違いもあり、誤解や行き違いも生じますし、またいろいろな面における人間の弱さや不完全さも包含しているわけですから、ときどき問題が生じるのは当然のことと言えると思います。(聖書もそれをありのままに記しています。)

リーダーや組織への盲従を強いられるカルトのような宗教や思想のグループでは、人間関係の軋轢(あつれき)は、抹殺されるので、表面には現われませんが、それこそ異常なグループの特徴と言えると思います。

それなら、教会のように自由な人の集まりの中には問題が生じるのは当然だから、「そのままで構わない」というのでしょうか。決してそうではなく、聖書には「人間関係をよりよくする」ための知恵や勧告、戒めがたくさん記されていて、それがとても分かりやすく具体的に教えられています。

「人間関係をよりよくする」ための鍵はもちろん「愛」ですが、聖書は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と教えています。これは、人が神を愛するという最高の生き方に次ぐ、大切な教えですが、誰もが持っている自己愛---自分を大事に思う---それと同じ気持ちで他を愛し、大切に思う心で関わりなさいということです。

実行は難しいことが多いのですが、しかし、人間は自分も他人も神の前に尊い存在だということを心に留めて励むなら、自分をも他人をも生かす幸いな、人との関わりへと少しずつ進んでゆけると思います。

自他共に幸いにする、愛の生き方の何であるかを聖書を開いて見出してくださいますように。
(次回からは少し具体的なことに触れてみたいと思っています。)