人間関係について(2)

N 照代

「受けるよりは与える方が幸いである」との聖書の教えは、物のやりとりということだけでなく、人間関係全般において大切なことを教えていると思います。

人に「ああして欲しい、こうして欲しい」と求めるよりも自分が人にしてあげることを先に考えたら、もっと満ち足りた生き方ができるのではないでしょうか。

また相手に「変えてほしい」と求める前に「まず自分が変わることを求めて励む」と「相手も変わる」とよく言われることですが、これは親子関係でも夫婦関係でも同僚や友人関係でも事実のようです。経験済みの人も多いかと思いますが、人は相手に求めてばかりいる間は決して満足は得られないということだと思います。

自分には他に与えるような、役立つようなものは「何もない」と言われる方もありますが、そんなことはないと思います。あなたには「いい笑顔」があるのではないでしょうか。

人はあまりに辛いことがあって、落ち込んでいたり、種々な重荷を抱えてそれに潰れそうになっている時もありますから「絶えず笑顔」ということはできません。時には「何でも笑顔でごまかす」というような偽りの笑顔で、かえって大切なものを「濁す」ような場合もあるかもしれませんが、普通はやはり笑顔には人を生かす力があると思います。

やさしい笑顔で元気にあいさつされただけで疲れが癒され、心が温まって生きる力や希望を得る人だって少なくないのではないでしょうか。

だいぶ前のことですが、私たち家族が当時住んでいた街の近くで一人暮しの老人が同じアパートに住む小学生数人を撃ち殺して自殺するという痛ましい事件が起きました。老人が犯行に及んだ理由が「その子供たちから毎日悪態をつかれ、バカにされていたから、、、」というのでしたが、私はこの事件が忘れられませんでした。

その一人暮しの淋しい老人に誰か一人でも優しい笑顔で声をかけてあげる人がいたら、あんなことにはならなかったのではないか、誰もいなかったからではないだろうかとひどく心が痛みました。
心が寒い時、やりきれないほど辛い思いを抱えている時、生きることに疲れ果てているような時、誰かの優しい笑顔に会いたい、一言の温かい言葉が欲しい、と心ひそかに願っている人は案外多いのではないかと思います。

日本でのことですが、ある時、駅の公衆トイレの洗面所にそこの掃除婦と思われる中年の婦人が入って来ました。その人はプリプリと怒ったような態度で「暑い、暑い」と声を張り上げて、水道の蛇口を乱暴にひねり、水をじゃんじゃん出しました。水しぶきをかけられた人々はみな顔をしかめていましたが、私はふと「今日は本当に暑いですね。お仕事大変ですね」と声をかけてみました。すると、その婦人は急に柔らかい表情になて「いえ、あら、どうも」と急いで蛇口をしめて、「私ら、仕事ですから。どうも、どうも、ね」と嬉しそうに頭を下げて、入ってきた時とは違う、静かな態度で去って行かれました。

行きずりの人がかけた一言のいたわりの言葉が、辺りかまわず怒りをあらわにしたいほどやり切れないものを胸に抱えていた一人の人を暖め、その怒りを静める効果があるとすれば、まして近しい関係の人々からのそれは、どんなに大きく人の心を生かし、人間関係に美しいものを産み出すことでしょうか。

心の灯が消えてしまっている人に灯を貸してあげることが、ひょっとしてその人の、悪の方向へ進んで行こうとする足を食い止める力になるかもしれないのです。私はそう思って、励むようにしています。

聖書にあるように世の終りが近いからでしょうか。人の愛が冷えて来ている現実を目の当たりに見ることが多くなりました。自分のことしか考えないで、他人を大切にしない人が増えています。「人と人との心が通じない」「互いに心を通わすように励む人も少なくなっている」と感じるのは、私だけではないのではないかと思います。

積極志向が叫ばれる現代の社会ですが、人に優しい笑顔、ちょっとした温かい言葉を与えるということは、人間関係における誰にでもできる積極的な生き方の大切な部分ではないかと思います。

笑顔には人を生かす力があります。温かい言葉は人の心を輝かせます。それを受けることよりも与える人になりたいものだと願わさせられています。


自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。(ルカ6:31)