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出 会 い
K 彩子
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洗礼を受けてから、この秋でちょうど10年目を迎えました。
私のキリスト教との出会いは高校時代にさかのぼります。キリスト教系の高校に入学しましたが、反抗期、思春期の中にいた私は心を固く閉ざしていたためか、聖書の学びや先生の説教などは、その当時全く理解できませんでした。毎朝の礼拝の時間には寝る、というのが習慣になっていました。
そんな中で、こんな高校生活ではいけないなとアルバイトを始めました。そして貯めたお金で留学が許され、1年間をオーストラリアで過ごすことになりました。しかし、そこでも文化の壁、英語の壁にぶつかり、自分の小ささ、弱さに打ちのめされていた頃、図書館でポツンとしていた私に声を掛けてくれたクリスチャンの Matthew 先生との出会いがありました。
先生は私に聖書のことば、イエス様のお話をしてくれたり、教会やさまざまなフェローシップに連れて行って下さいました。先生との出会いを通して、初めて「私は小さくて弱い者だけれど、神様に愛されている」ということを知りました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43:4)
日本に戻ってからも、Matthew 先生は封筒がはちきれるほどにみことばが綴られた、心温かい手紙をしばしば送ってくれました。数年後、ふと連絡が途切れ、先生が不慮の事故で亡くなったことを知りました。しかし、先生が私の心に蒔いてくださった信仰の種は枯れることなく私の中にとどまってくれました。
日本での大学生活の後、シアトルに1年間留学した時に通っていた教会で洗礼を受けました。神様に背を向け続けていた罪深い私の身代わりとなって、イエスキリストが十字架で死んでくださり、私を救うために復活されたことを心から信じることができました。Matthew 先生に教えて頂いた神様の愛が私の心にあふれ、神様が与えて下さった人生を、自分中心ではなく神様の導きによって生きたいと決心しました。
日本での就職、結婚を経て、2000年の秋に主人の仕事の都合で渡米してきました。当時4ヶ月だった実優を連れての生活は慣れないこととまどうことが多くありました。
1年ほどしてから、家の近くに住むクリスチャンの友人ができ、親子共々仲良くさせて頂きました。同い年の子供を持つ母親として共に助け合い励ましあい、特に信仰面で彼女にどれだけ支えられていたか。素晴らしい友人を与えて下さった神様の愛を感謝せずにはいられません。
そして共通の友人であった、Yさんを通してこの教会へと導かれました。それは渡米後3年目のことでした。Yさんをはじめ、多くの姉妹たちが、私の信仰の灯が消えないように、教会につながるようにと励まして下さり、祈って下さっていたので、今私がここにいることができるのだと気付かされます。
これからもますますみことばを蓄え、日々祈り、神様により頼む人生を歩んでいきたいと心から願っています。そしてこの願いこそ、私の内で主の愛が働いている証しだと思っています。
最後に、洗礼を受けた際の証しに書いた聖書のことば改めて記します。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカの福音書9:23)