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神様のなさる不思議
G 圭子
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私のアメリカ生活は30年を超えます。初めサンタクララに2年、ロスに2年半、ニュージャージーに27年住んでいました。そして、6ヶ月前にこのサンタクララ教会に戻って参りました。家族は夫と、ニューヨークで働いている娘が1人います。
「鹿のように」という賛美がありますが、私はこの歌が好きです。でも、ある時、この歌がもっともっと心に迫る歌になりました。ある姉妹が、病気がかなり進行した状態で見つかった時、神様を求め、洗礼を受けられました。手術後も病気の方は良くなりませんでした。日本に帰国されて、ホスピスに入られました。ホスピスは、病気の最終的な段階を迎えた方が、痛みを抑えて、最後を過ごすという施設です。姉妹をお訪ねしましたが、姉妹の前に立つと何も言うことができませんでした。励ますと言ってもどうしたら良いのか分かりませんでした。でも、神様は姉妹を守っておられました。その姉妹が一番好きな歌が『鹿のように』だったのです。それを聞いてから、この歌を歌うたびに、「あなたこそ我が盾、あなたこそ我が力、あなたこそ我が望み、われは主を仰ぐ」という歌詞が彼女にとって、つらい死ぬ間際、誰も助けることの出来ない時、手を握っていても、その魂を支えることのできない時に、なによりも強い支えであった神様への告白であった事を思います。そして神様に希望を持っていた姉妹の証しであった事を、この賛美を歌う度に思い出すようになりました。それから、この歌がさらに私の心に迫るものとなりました。この賛美を歌う時、神様は、この世と別れるときも私たちの力となってくださるお方であるということを思い出してくだされば、と思います。
神様はあまりに素晴らしいので、いろいろお話ししたいことがありますが、私の歩みの中で、神様が、本当に不思議なことをなさってくださったことを振り返ってお話ししたいと思います。神様との出会い、結婚、東海岸に行ったとき、子育て、サンタクララにもどった時、それぞれの時の「不思議なこと」があります。
私の名前の字は「まっすぐに伸びる」という意味があるそうですが、何にでも直進していくという性格でした。普通の家庭に育ち、この世的には素直で良い子に育ちましたが。強い性格で、そのまま成長していたら、この世の中でどんなに ”嫌らしい” 人間になっていたかと思います。そのことを思うと、神様の救い、神様が捕らえてくださった喜びを味わうのです。
―神様との出会い―
私を可愛がってくれていた祖父はクリスチャンでしたから、私が神様と出会って、神様を信じるようにと祈っていたのだと思います。神様は私を思っても見なかったような「弱さ」の中に置かれました。「弱さ」というのは本当に神様と出会うチャンスになるということを、いろいろな方のお話から聞いて、そう思いますが、本当にそのように私も、思ってもみない「弱さ」を与えられました。15歳くらいでしたが、心の中の問題ではあったのですが、本当に辛くて辛くて、ノイローゼのような状態になりました。その時期が続きました。周りの人には分からないのですが、心の中の状態は本当に辛い時でした。
そういう中で、聖書の御言葉に目が止まりました。ヨハネ9:3 です。イエスの弟子たちが、「先生、彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」と聞きました。するとイエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」この御言葉が、そのときの私の心にガーンと触れて、目の前が開かれたのです。本当に不思議なのです。私が、何故こんな辛い目に遭わなければいけないのかな、何故こんな状態なのか何の為なのか?という事への答えだと受け止めました。
「神のわざがこの人に現われるためです」という言葉に私は捕らえられて、その答えに、何かすーっと肩の荷が下りる思いがしました。もちろん、その瞬間に問題が解決したわけではないのですが、人というのは、「なぜ?」という質問に答えを頂けると、立ち上がることができるのではないかと思うのです。その時、私は「弱さ」を持ちながら、立ち上がることができたのです。それが少女期における神様のなさった「不思議」です。神様が私に介入して下さった、捕らえて下さった、あんまり説明出来ないその瞬間であったのをはっきり覚えています。
―結婚―
牧師、宣教師の先生方のご家庭を見ていて、ああ、結婚するならクリスチャンの人が良いな、と思うようになりました。それは、「クリスチャンとして共に歩んで行くんだ」というような思いからではなく、自己的に「クリスチャンなら、いつも私を愛してくれるだろう、赦してくれるだろう」というような思いからだったような気がしますが、そんな夢をもちました。大学を卒業して、今の主人と出会いました。彼は、クリスチャンではなかったのですが、”クリスチャンになりそうな” 人でした。彼は、仕事を止めてMBAをとるために米国に勉強に行き、その半年後に結婚する予定になりました。その半年の間に、私自身まだクリスチャンではなかったのですが、身勝手な祈りで、「彼が教会に行きますように、クリスチャンになりますように」と必死に祈りました。その祈りは毎晩、熱心に続きました。彼が米国に着いて、1週間して、手紙が届いたとき、驚きました。彼は、まず英語学校に行って、そこにおられたサンタクララ教会のI姉妹に誘われ、「次の日曜日からサンタクララ教会に行っています。」と書いてあったのです。 驚きました。本当に嬉しいというより畏れを感じました。自身がクリスチャンにもなっていない、こんな私の祈りを神様は聞いてくださいました。それが第二の「不思議」でした。
離れていた6ヶ月の間、それぞれの教会で過ごす事が出来ました。
6ヶ月後、サンタクララ教会の方々によって全ての準備が整った中、私は米国に着いて3日目、まだ時差でフラフラしているような時に、結婚式をして頂くことができました。皆様のご親切を忘れることができません。そして、1年後に主人と共にこの教会で受洗させて頂き、”神の子” とされました。
それからロスに移りました。2年半後、労働ビザの手続きに時間がかかり、日本に一時、帰ることになりました。(また、カリフォルニアに帰るんだ)と思っていたのですが、道が閉ざされてしまい、一年間日本で過ごした後、思っても見なかった東海岸のニュージャージーに行く事になりました。そしてそこで私達の結婚生活の大部分を送る事になります。
その時の事はまたの機会にさせて下さい。
―子育て―
子育てのことを少しお話ししたいと思いますが、子供は現地校に行きました。2年生から3年生になった時、学校に行くのをいやがるようになりました。朝になると、学校に行きたくないと、もどしそうになるのです。とても厳しい先生に変わったこともあったと思います。主人と私は、ドアを堅く閉めた娘の部屋の前で、娘のため祈りました。「娘の心を開いてください。助けてください。辛い思いをしている娘の心を守ってください」と。でも、校長先生は「泣いても喚いてもすぐに連れていらっしゃい」と言われました。心を鬼にして、娘をぐっとつかんで主人と車に乗せ、学校に連れて行きました。それが暫く続きました。学校に入ってしまえば大丈夫だったらしいのですが、親子共々戦いでした。毎日のように朝になると、私の胃も痛くなる有様で、主人と必死で祈りました。ある日、祈っていると静かにドアが開き、娘が、「学校に行く」というのです。その時、(ああ、神様が働いてくださった)と思いました。神様でなければ、そのように内側から心のドアを開けることはできないというような、娘の状態を知っていたからです。始めは辛そうでしたが、娘は学校に行き通す事が出来ました。祈っていくことの大切さ、祈りを聞いて下さる方がおられる事を感じました。
またジュニアハイの頃です。女の子はグループを作りますね。その中で、いじめではないのですが、仲の悪くなってしまった子がいたのです。娘が、とても淋しそうにしていたので、私たちはその事を行動で何かするのではなくて、まず祈りました。「神様、どうぞ道を開いてください。また仲良くなれるようにしてください」と。すると、しばらくしてから、その子の母親から電話がかかってきました。びっくりしましたが、全然、違う用件でかかってきたのです。あることの依頼でしたが、幸いにも私達がそれに充分に答える事が出来ました。相手の家族中で”本当に喜んでくれました。勿論子供達は前以上に仲良くなりました。解決が全然ちがう方向から来ました。私は子供のことで祈っていましたので、このことは、神様が思ってもいない方法で答えて下さった事を知りました。神様のなさることは「不思議!」です。そして完全ですね。
祈っていると神様のなさる事が分かってきますが。もし、神様がなさっていることを、全部私たちが見ることができたら、感謝であふれると思います。あのことも、このことも全部、神様が関わっていてくださったのだと知ることができると思います。神様が私たちに「恵みを数えなさい」と仰っていますが、見えない事柄の中にも、一つひとつ恵みを覚えて、これからの人生も祈りつつ歩ませて頂きたいと思います。
―恵み―
私がクリスチャンになって変えられたなと思うことが3つあります。私はとても心配性です。子供のこと、老後のこと、両親のこと、身体のこと、、、。でも、クリスチャンになってからは、祈りを通して心配、恐れから逃れることのできる道を教えて頂きました。私たちを造って、私たちの全てをご存知の、全知全能なる神様が「求めなさい。そうすれば与えられます」と言われています。この方に本当に叫び求めて行く時、この世が与えるような一時的なもの、でない平安をもって答えて下さいます。クリスチャンになって与えられた第一の喜びは『平安』だと思います。
下の聖言葉を通しても平安が与えられている事を感謝します。
「私はあなたがたに平安を残します。私はあなたがたに私の平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14:27)。
「何も思い煩わないであらゆる場合に感謝をもって捧げる祈りと願いによってあなたがたの願いごとを神に知って頂きなさい。そうすれば人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださいます。」(ピリピ4:6-7)
第二は、目の前に見えることや起こっていることがどんなに辛くて嫌な悪いことであっても、主に叫び、祈り求めて行くとき、そして、問題にぶつかって行く時、結果的には、悪い様に見える事柄を通しても、最善の方法で一番良い時に解決が与えられるということを知りました。ですから、見えなくても、すでに主がその問題に関わって下さっていることを望みみて行くことができるようになりました。主にあって、『全てのマイナスがプラスに変えられる』事を教えて頂きました。
こういう御言葉がローマ8:28にあります。
「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」
最後にまた、神様を知ってから『目に見えないものの中に何よりも大切なもの』があることを知りました。「本当に大切なもの」は、お金で買えるものは一つもありません。命、愛情、友情、信頼、尊敬、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、、自制、赦し、慰め、励まし等、どれもお金で買うことは出来ません。この世の価値観に捉われずに、お金で買えないものを大切にしていくことのできる、『永遠に続く世界』を歩むことができることを教えて頂きました。
「私たちは見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは、いつまでも続くからです。」(IIコリント4:18)
何のために生きているのか分からない自分でしたが、神様に出会い、神様に目的をもって造られ、イエス様が十字架にかかってくださるほどに愛して下さることを知って、本当に「一方的な愛、一方的な憐れみ」の中にこのクリスチャン生活の32年間を歩んで来られたことに心より感謝します。これからの道も生きて働かれる主とともに歩めることを感謝します。まだ、神様に出会っていらっしゃらない方がいらしたら、本当に早く神様を知って、神様と共に歩む人生の素晴らしさを味わって頂きたいと思います。
(水曜日のKG、JODの集会でのお話から)