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導かれて
T. 由佳
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神戸生まれの神戸育ちで、約18年間、塾講師やプリスクール、家庭教師などで子供に携わる仕事をしていました。日本で哲学・心理学を学び、広告代理店に勤めた後、アイオワの神学校で神学を学びました。シンガポールの大学院でトレーニングを受け、ソーシャルワーク、カウンセリングを本格的に始め、2001年に主人とこのベイエリアに来ました。現在、マリッジファミリーセラピスト(MFT)というアメリカの臨床心理士に値するライセンスのインターンとしてサニーベールにあるコミュニティ・カウンセリングセンターで、大人、子供、家族、夫婦などのカウンセリング、そして、そのセンターから派遣されてクパティーノ学区の2つの小学校でスクール・カウンセラーとして働いています。
私がクリスチャンになったきっかけを少しお話させていただけたらと思います。最初は、私が小学校1年生の時に一番の仲良しの友達に誘われて日曜学校に行きだしたことです。その教会の牧師先生であり、私の小学校の地区にある養護施設の代表もなさっていた相川先生という方が、本当におだやかで優しく、存在自体が「愛」そのもののような方で、イエス様ってきっとこの先生のようなお方なのだと子供心にずっと信じていました。
中学校に入り、両親の離婚をきっかけに、それからは姉と二人、父子家庭で育ったのですが、父は忙しくてほどんど家におらず、姉もアメリカに留学し、家に一人でいることがほとんどで、自由な時間が出来、遊びまわって、学校に真面目に行かない時期がありました。家にたくさんの友達を呼んで、お酒を飲んで騒いだり、その場だけの楽しさで、自由になった時間とお金を使い、その孤独感をうめようとしていたのです。そんなことは、一人暮らしをしだした高校生になって、更に加速し、大学生、そして社会人になってからも変わりませんでした。その間も1年に2,3回、なにかのきっかけで教会に行ったり、教会のキャンプに参加させてもらうことがあったりして、その時には一瞬、他では味合わない、「神様の愛」、「穏やかで優しくてすごく安心できる」、そういう気持ちになれること、そういうものに触れることに喜びを感じましたが、また、自堕落で不健康で、刺激のある生活を求めることを続けていました。
仕事と友達との付き合いに全ての時間を費やし、何ヶ月先までの予定がみっちりあるという、ただ忙しい毎日を送っていたのです。仕事や人間関係、全てが表面的には上手く行っていて何の不満もない日々でしたが、そんな時、このままでいいのかな、という思いが急に沸きおこり、不思議なことにあっさりと、後先もあまり考えず会社を辞めました。そんな私を、ロサンジェルスにいるクリスチャンの姉が暖かく招待してくれたのです。
ロスに行って、その時に姉夫婦の助けで再び神様に導かれ、今までの、本当にこの私がしてきたたくさんの罪の為にイエス様が十字架で死んでくださったこと、そして、その罪を赦してくださり、救ってくださったのだということを確信しました。その時、この聖句が与えられました。
「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく作られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 (第2コリント5章17節)
その頃、そのロスの教会の牧師先生の娘さんとその友達とも仲良くなり、三人とも大学で心理学を学んでいたということもあって、将来3人で協力して神様の愛を伝えるカウンセリング・センターを作れたらいいね、と約束しました。1990年の夏、今から15年前のことでした。その夢は残念ながら実現できていませんが、それが、私がカウンセラーを目指した最初のきっかけでもあります。このアメリカの地に再び導かれ、カウンセリングをしていることは、神様のたくさんの恵みなしでは起こり得なかったことだと思っています。
(白百合会月例会4月の集会でのお話より抜粋)