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一番大切なもの
S 順子
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今は社会人になった、私の子どもが幼稚園に行っていた頃のことです。その日はお昼を挟んだ保育参観日でした。子供の左隣のお子さんのお弁当は、プチトマト、パセリ、可愛い楊枝が刺さったミートボール、たこの形のソーセージ、カラフルなふりかけがかけられたハートや星形のご飯と、いろどりも鮮やかで美しく、それはそれはかわいいらしいものでした。
右端のお子さんのお弁当は、茶色と黒ばかりの可愛らしさとは程遠く、かわいそうになるぐらい地味なお弁当でした。しかし、よく見ると殆どのお子さんが左隣のお子さんのお弁当と類似していたのです。出来合いのものが、とてもセンスよく詰められていましたが、栄養のバランスは悪く、食品に含まれる添加物も気になりました。
一方の、派手さがちっともないお弁当は、油揚げと大豆とひじきの炒め物、ささがき牛蒡と人参のキンピラ、手作りのかぼちゃコロッケ、小さく握ったおにぎりに海苔がきっちりと巻かれていて、一つ一つに手間をかけた栄養たっぷりのお弁当で、母親の愛情がところ狭しと詰まっているようでした。
お恥ずかしい話ですが、神様の御愛を知る前の私の子育ては、いつも見た目には美しいけれど栄養の無い、出来合い弁当のようでした。いつも人の目を気にして、子どもにとって大切なものよりも見た目や世間体を最優先する、味気の無いものでした。
神様の御愛を知った後は、見た目のきれいなお弁当ではなく、食べた後に子どもの心が温まる、本当に味のある、栄養のあるお弁当を作りたいと思うようになりました。子どもの体に栄養のあるお弁当を作るためには、栄養学のことも知らなければなりません。どんなに愛情を込めて作ったものでも、正しい知識がなければ子どもの体を蝕む結果になってしまうこともありますから。
子どもの心に栄養を与えるためには神様の御愛を頂く以外にはありません。バイブル・レシピーのみが、唯一子ども(大人)の心に栄養を与えることができる食事ですから、いつもバイブルからレシピーを拝借しなければなりません。残念ながら、たとえ全身全霊を傾けてお子さんを大切に一所懸命育てたとしても、(例えば、できる子ども、手のかからない子どもは可愛いと思うように)人間的な愛には制限があり、自分の都合で子どもの価値を狭めてしまうこともあります。
子どもは何かができるからすばらしいのではなく、そこにいることがすばらしいのです。神様が一人一人違う目的をもってつくられたのですから、、、。それゆえ、一人一人違う賜物を神様から頂いているのです。人と比べたり、同じに育てようとすることは、賜物さえも潰してしまうことになりかねません。
バイブル・レシピーを必要なかたは教会までいらっしゃってください。いつでも差し上げます。御一緒に、栄養のある食事を考え、作り、食べましょう。