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人間関係について(3)
中尾 照代
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「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。」 (新約聖書・ヤコブの手紙1:19)
人間関係に関する聖書の教えは具体的で明確なものが多いですから、解説を聞くよりも、守り行うことが大切なのですが、人間にはみんな欠けがあるので、聖書の大切な教えも十分には守り行えないのが現実だと思います。しかし、神は、聖書の言を守り行なおうと励む者を助けて下さいますので、そのように生きる人は、自分の人生を豊かなものにし、人間関係をも、より良いものにすることができるようになると思います。
ただ、人間関係には相手があるわけですから、どんなに努力しても、自分の努力だけではどうしようもないことがあるのも事実です。それが、単に連絡不足、ミス・コミュニケーション、考え方、意見のちがい、勘違いといった外側の問題なら、その対応や解決も単純に済むと思いますが(それを改善すればいいので)、時には、相手の「人格の問題」といった難題に直面することもあるわけです。
最近、と言っても、もうだいぶ前からですが、本屋に行くと「困った人に困らせられない法」、「すぐに解決!困った人々」、「平気でうそをつく人々」、「困った隣人」等々、思わず苦笑したくなるような、おもしろいタイトルの本が売られているのを見ます。こういう本は、やはり相手の「人格の問題」に関する人間関係に悩む時にどうするか、その対応の知恵や方法に示唆を与えるもののようです。おそらく著者のにがい体験や見聞から書かれたものだと思いますが、結構、そういうことに悩まされている人は多いのかも知れないと考えさせられました。
特に相手を信頼して、ひたすら注いだ「誠意や善意が踏みにじられ」、人を大切にして来たことが「利用されただけだった、、、?」と思うような事態に直面した時の、人間のショックと悲痛は大変深刻なものになるのではないかと思います。実際、そのために心の病気になったり、死を選んでしまうようなケースもあるのです。
人間関係のことでひどく悩む時、一つの躓きが人生すべての失敗であるかのような絶望感にみまわれることがあります。他人のことを気遣い、人間関係を良いものにしようと真剣に努力するような良心的な(誠実な)人ほど、「うまく行かなかった」結果に苦しんで、人間不信に陥ったり、ひどく否定的な態度をとってしまったりして、人との関わりを避けようとするのではないかと思います。
しかし、人生のすべての事柄と同様に、人間関係の問題も、避けること、逃げることによっては何一つ、解決しないのです。たとえ現実に人との関わりを避けて生きていたとしても、自分の心に生じた「人間関係」のつまずきそのものは、解決のないまま、自分の内側に残ってしまうのですから、それに全く悩まされないでいるということはできないと、私は自分の体験からも知りました。
「逃げること」に解決を求めてしまうと,一生、ただ「逃げ道を探す」だけの、実のない人生を歩むことになってしまいます。人生には逃げ出したくなるような事柄がいやというほどあるのですから---人生は、そういうこととの闘いなのかもしれません--。
人間関係の躓きや傷は、また「人間関係の中で癒される」と言われていますが、それは事実です。人との関わりで受けた傷は、人の心の、人の声の、人の手の助けを借りて、次第に癒されていくのですから、悩んでいる時は、やはり誰かに話すことが必要だと思います。
世には他人の心や痛みなど「気にもかけない」心無い人々もいますが、しかし、みんながそんな人ばかりではないので、これはとても幸いなことです。親身になって、あなたの苦悩や悲痛に耳を傾け、心を砕いてくれる、心優しい人々も世に居るのです。
神の愛をいただいている人々の集まる教会には、あなたを生かし、温めてくれる良い交わりがきっと見つかると思いますから、どうぞ、その交わりに加わって下さいますようにお勧めします。
どんな場所、どんな場合においても、人間関係の問題は小さくはないので、人はそれに深く悩むのですが、しかし、それはまた、私たちの人格を成長させてくれる貴重な訓練にもなるのです。
「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。」(新約聖書・ローマ人への手紙5:3-4)
共に忍耐しながら、この希望を自分のものできるように励んでいきたいと願っています。