榊原宣行・久美子夫妻「やすらぎコンサート」
榊原宣行師(ペニンスラ・フリーメソジスト教会牧師)
(9月9日白百合会でのコンサートのお話から抜粋)
「赤とんぼ」という曲は、日本では、童謡の中で必ず1位になるほど人気のある曲だそうです。メロディも日本人の心に沁みてくるような曲で、山田耕筰さんがお作りになったものです。歌詞は三木露風さんがお作りになりました。山田耕筰さんにしてもクリスチャンのバックグラウンドがありますし、三木露風さんも同じようなバックグラウンドがあるそうです。日本で古い、こうした時代のものには、案外、私達が学校で歌ったり、耳にした曲で、キリスト教のバックグラウンドがあるのですね。おもむろに「イエス・キリスト」とか「神様」とかの言葉が出るのではなくて、思いをそこに入れながら、作曲家、作詞家たちが作って、送りだした、ということらしいです。
例えば、この「赤とんぼ」などは、昔のことを思い出しながら、懐かしい思いにさせるような歌詞ですね。「夕やけ こやけの 赤とんぼ」を背に負われて見たのはいつの頃だったろうか。桑の実を小籠に摘んだあの頃のことは幻だろうか、、、と。三木露風は恵まれない環境の中で育ったそうです。特に淋しかった、孤独だった頃を思いながらいたわけです。自分をおぶってくれた姉やは、「十五で嫁に行った」、そしていつの間にか便りもなくなった。そんな淋しい、哀しい、空しい子ども時代。そして、これまでの人生を振り返りながら、、、。
でも、最後の4番では、「夕やけこやけの赤とんぼ とまっているよ 竿の先」とあります。とんぼがいろいろなところを飛んできて、疲れきってしまった。どこにもとまる休み場がない、といった時に「あっ、あった、竿の先」といってとまったように、自分も実はイエス・キリストの十字架にとまった、というのです。「竿の先」とは、十字架のことだというのです。そして、そこにやすらぎを見つけたのだ、と言われています。
「幸い薄く見える日に」というのは、アメリカでもtraditional な曲ですし、お聞きになれば、多くの方はご存じの曲だと思います。この歌の3番の歌詞は、愛する人を失って望みの消えるような時、というような内容です。この曲について私は思い出す人がいます。私は、横浜のホーリネス教会で7年間、牧師をしましたが、私が牧師になってすぐの頃のことです。ある50代の婦人が病気になられて、余命が長くない、と分かりました。私は牧師になりたてで、どうしたらよいか分からない。お祈りするのですが、その婦人は日に日に悪くなられるのです。
聖書のヨシュア記というところに敵の城壁を打ち破るために7日間、その周りを歩き回ったら、その壁が崩れ落ちたというところがあります。ですから、私も、その婦人の「病気の壁」をなんとか神様に崩して頂きたいと願いながら、病院の周りをグルグル、グルグル歩きました。その方は、まだお若い。子どもさんたちもおられる。何とか婦人の病気を治してくださいと、病院の周りを毎日、祈りながら歩き続けました。
(どうしてなんですか。)(私に癒しの力があったらよいのに、、、。)と本当に悲しくて、悔しくて、まだ青二才だった私は、挫折感を味わいました。でも、ご当人の、その婦人は違ったのです。「先生、大丈夫。天国に行くのですから。神様は一番良いことをしてくださるのですから」と言われたのです。そして、日に日に痩せ衰えて行き、日に日に顔色は紫色になっていくのに、その婦人の笑顔は日に日に輝いて行くのです。そして、天に召されていきました。
私の小さな、小さな信仰、弱い私自身と、逆に、死を目前にしてキリストに向かって輝いていく婦人、、天の御国に向かって今、一歩踏み出して行こうとする姿はあまりに対照的でした。愛する者を失った---ご家族の悲しみを思うと比べようもありませんが、---そんな私のような者にもイエス様、神様は応えてくださる。永遠の国を与えてくださる。私もまた、そこを目指して歩んで行けるのだという希望を与えてくださる。―――もう12, 3年前のことですが、そんなことをいつも思い出します。
幸い薄く見ゆる日に 孤独に悩むときに
我が恵み 汝れに足れりと 静かな声を 聞きぬ
されば我 我が目をあげて 十字架のイエスを仰がん
主よ 汝が愛を思えば 我に乏しきことなしと
愛する者を失いて 望みの消ゆるときに
我 汝をひとりにせじと 優しき声を聞きぬ
されば 我 笑みを湛えて 十字架のイエスに応えん
主よ 汝が愛に憩えば 我に淋しきことなしと
我に乏しきことなしと 我に淋しきことなしと
(コンサートの録音テープをお聴きになりたい方は、スタッフにお問い合わせください。)