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一秒一秒を神様に明け渡す人生
D 万喜子
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田んぼのぬかるみの中、死にかけている友人を背負って必死にはいずりまわっていた時、 弾丸が突然雨のように、パチャパチャと降ってきた。無我夢中で逃げた。気がついたらほかの日本部隊に出会って救われた。背負っていた友人はすでに死んでいた。友人の遺灰を日本の御両親に届けた。
遠くを見ながら、彼の部隊でただ一人生き残った父は“不思議だなー”と、夏休みの休暇で帰省している大学生の私に、独り言をいうように語ってくれました。第二次世界大戦が終わり、父が無事に中国から5年ぶりに母のもとへ帰ってきまして、まもなく私が生まれました。父が、あの雨のように降ってきた弾丸に一つでもあたっていたら、私はこの世に生まれていなかったのだ、と思うと神様の不思議なご計画に驚かされます。
父は生きて帰ってきた喜びと、廃墟となった日本を復興させるために、よく働きました。父と一緒に、家族そろって夕食を食べた記憶は、子供の頃の思い出に一度もありません。困ったことなぞ相談に行っても、“何を言っておるのか、お前は「くるしい」の「く」の字も知らん!”と小さいころから言われて育ちました。父は開拓精神が強く、保険会社の支社長として、日本中を3年ごと家族を連れて引越ししました。私が小学校5年生の時には、東京から北海道旭川市へ、引越ししました。親しくなった近所のいたずらっ子と一緒に、毎日道路で遊びました。ある日、屋根の上に、お星様のとまっている建物を見つけ、みんなで、のぞき見に行くことにしたのです。
私は、そこでイエス様と出会いました。きっと日曜日の午後だったのでしょう。ドアが開いていて、のぞいてみますと、やさしいお姉さんが出てきて、私たちにかわいい絵のついた小さなカードを下さいました。仕事で忙しい父と、小さな妹の世話で忙しい母は、私が日曜学校へ行くのをとめませんでした。私はそこで、屋根の上のお星様は十字架で、イエス様が私を愛してくださることを知りました。それまで愛という言葉を、家でも外でも聞いたことはありませんでした。それで子どもながらも、イエス様に、とても心がひかれました。
その後も、父の仕事の関係で、あちらこちらへと引越ししましたが、いつも教会をみつけて行きました。そして大学2年生の時、イエス様と一緒なら特に何もなくっても、人生を生きてゆけるのではないか、と思い洗礼を受けてクリスチャンになりました。
私が卒業する頃には、日本経済も素晴らしい勢いで、のびだしていました。世界へ出て行く、日本のビジネス関係の方々や旅行者のために、アメリカの航空会社が、初めて日本人のスチュワーデスを、応募しはじめました。私の大学の先生でもあり、宣教師でもありましたMrs. Winnが、“日本女性も世界へ出てゆく時になりました。夢を大きく持って、なんでもやってごらんなさい!選んだ道が神様のご計画にそったものなら、必ずドアが開かれます。もしそうでなかったら、別の道を神様が用意されておられますから、恐れずにインタビューを受けなさい。”と励ましてくださいました。私は“ああ、そういうことなのか”、と落ち着いた気持ちになり、インタビューにでかけました。
全国約8千名の応募者の中から13名選ばれまして、私は幸いにもその中の一人として、アメリカへくるチャンスをいただきました。そんなに多くの方々の中から、どうして私が選ばれたのかわかりません。本当に、“不思議だなー”、と思いました。仕事を通じて世界各国、45カ国余を訪れる機会をいただきました。さまざまな国の人々、文化、宗教、芸術、自然、にふれながら、神様の創られた地球は、なんとバラエテイーに富んだものかと驚かされました。
その後、結婚して育児をしながら、アメリカの幼い子どもたちを教える先生になりました。地球儀を持って、子どもたちに訪問した国々の話をしていた時に、ひとりのアメリカ人の子どもが“マキコ先生は日本から来たと思っていたけれど、先生は地球からきたのね”とすてきなことをいってくれました。誰とでも話しをするのが好きな私は、仕事を通じて、きっと地球人にさせていただいたようです。
両親が晩年になって、夏の間4週間、サンホゼ市にある私たちの家を、訪れてくれた時のことです。私の母は長年仏教徒でしたが、こちらにいる間は、私たちの教会へ出席してくれました。そして帰国する前日に、訪れてくださいました吹上牧師ご夫妻の前で,“今日から私はクリスチャンになります。”と言って、私たちを驚かせました。“どうして、そのように決心をなされたのですか?” と聞かれた先生のご質問に、“娘の万喜子が日本をでるとき‘お母さん心配しないで、私はイエス様と一緒にアメリカへいくのですから’と言って出たのですが、ここでしばらく泊まっている間に、先生のお話を聞いたり、教会の人々と語ったり、娘の生活を見ていて、娘の信じている神様はほんものだとわかりました。”といってくれました。
又、父とは何かの話のきっかけで、“お父さん戦争で殺した人々のことを、どう心の中で解決していますか?” と聞く折りがありました。父は“それは時代じゃ。時代のせいだ。”と答えました。それで私は“お父さん、お父さんの罪はイエス様が全部しょって十字架について死んでくださったので、お父さんにはもう罪はないことを、ごぞんじですか?”と言いましたら“そんな、いい話があるものか!”と鼻笑いをしながら言いました。私が“はい、いい話があるのです。”という私の答えをきっかけに、日本へ帰国してからも、母と一緒に教会へ出席するようになりました。そして、同じ年のクリスマス礼拝で、父母そろって洗礼をうけてクリスチャンになりました。父は77才、母は72才でした。父が大きな声を上げて、聖歌472番(人生の海のあらしに)を心から“いい歌だなー”と言って歌っていたことは、忘れられません。
私の夫は、インドから来たエンジニアですが、“マキコと一緒に天国まで行きたい!”と、いってくれて、16才になった娘とともに、クリスチャンになりました。数年前、インドを訪れて、多くの親戚の方々と一緒に集まる時がありました。とても親切にしてくださる一番年上の家長が、ヒンズー教徒の親戚一同の前で見渡しながら、“どうしてマキコは、この家族の中に入ってきたのだろうか?不思議だなー。”と言いました。集まりの後で、一人の若いお嫁さんが私のところにやってこられ、“私たちの子どもはマキコおばさんの学校ヘ入れましたのよ”と言われました。わけを聞きますと そこはクリスチャン系の学校だそうです。そのお母さんのそばにいた、幼稚園に行く娘さんに“Jesus loves me, this I know!という歌をしっている?”と、尋ねますと元気に “Yes!”と、返事がかえってきました。それで二人でみんなの前で “Yes, Jesus loves me! The Bible tells me so.” と終わりまで歌いました。
時代をこえ、国をこえ、神様は 小さな者を使って 偉大な神様の愛を伝えられることを私は知らされました。私に与えられている人生の一秒一秒が、神様のご計画に沿えますようにと、毎朝、目を覚ました時に祈ります。
神様に明け渡した人生ほど冒険に満ち、それでいて静かであり、不思議なほど安らかであることを教えられました。そして何よりも、いつもイエス様とお話ししながら過ごせる日々は、なんと楽しいことでしょう。神様の祝福が、皆様の人生に豊かにありますよう、お祈りいたします。