キャメラル?? チャラメラ??

中尾 照代

もうかなり以前の事ですが、四歳ぐらいの女の子が私をつかまえて言ったことがありました。
「あのねぇ、うんとねぇ。B子ちゃんて変なんだよ〜。『キャメラル』のこと、『チャラメラ』って言うんだよ。おかしいね〜。」

「ふ〜ん。そ〜お。」と私は真顔でそれに答えながら、心の中で苦笑してしまいました。
つまり、それは「キャラメル」のことだったのですが、(「キャラメル」は今はもう人気がないようですが、以前は子供たちの大好きなお菓子のひとつでした。)「キャラメル」という発音は幼児には難しいらしくて、たいていの児は「キャメラル」だとか「チャラメラ」だとか「カダメル」などと言っていました。

私はこの女の子の言葉を聞いた時、聖書の中の一つの言葉を思い出しました。
「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などと言うのですか。見なさい、自分の目の中には梁があるではありませんか。」(マタイの福音書7:3〜4)

「自分の事は棚に上げて」とよく言われますが、自分も同じか、それ以上の間違いをしているのに、他の人を咎めてばかりいたり、あら探しをしたりする事は、子供よりも、大人の世界に頻繁に見られると思います。あの幼児の言う「おかしいね〜。」は他人の事ではなく、自分の事である場合が多いのではないかと思いました。

聖書には「人をさばくな。」という注意が何度か出て来ますが、私は友人から聞いたことを思い出します。

友人の学生時代、あるグループに入った後輩のひとりに「おはようございます。」と挨拶はするけれども、一度も頭を下げたことのない人がいたそうです。(日本では上の人に頭を下げて挨拶するのが通常とされていますから、)先輩たちは「あいつは生意気だ。一度とっちめてやろう。」等と憤慨していたのだそうです。ところが間もなく、彼が人に頭を下げない、いや、下げることが出来ない理由(わけ)が解ったのです。その人は背中か首の辺りに骨の異常があって、体を前に曲げることができなかったのです。


これを知った友人の仲間たちは、自分たちの浅はかさを深く反省し、人を外面の言動や表面だけで判断するのは間違っていると強く教えられたということです。

私たちは自分の事でも、他人の事でも、周囲や社会の様々な事柄でも、知り得る事、よく理解している事はそんなに多くはない、むしろわずかなのだという事実を謙虚に受けとめて、簡単に決めつけたり、すぐに他人を非難したりしないように気をつけなくてはならないと思います。

「人をさばく」事と、「悪いことを判断する」事とはどう違うのでしょうか? という質問を、私は何度か受けましたが、たいへん難しい質問で、簡単に答えは出せないと思いました。

しかし私は、そのように真剣に悩むような誠実な人は、平気で人をさばいたりはしない人だと思います。「人をさばくな。」と言っても、白も黒も判別してはいけないという事ではもちろんないですし、「人をさばいてはいけないから…」と何事もウヤムヤにしていいと言うわけではありません。問題や事の真相を見極めようとしてはならない、とにかく「目をつぶれ」と、聖書が教えているわけでは決してないのです。

現代は特に問題や欠如や不正等とキチンと向き合うことを避けようとする傾向が強くなっているように見えますが、聖路加病院元院長の日野原博士は「現代は区別も差別も識別もいっしょくたにされてしまって、確かなものがわからなくなっている。」というように嘆いておられました。本当にそうだと思いますが、そういう時代に「イエスはイエス、ノーはノー」と言うにはかなり勇気が要るかも知れません。

ただ人の世には、押しても引いても、その両方を注意深く試みても、なお解決できない事も多くあります。ケース・バイ・ケースの対応が求められますが、受容によっても、拒否によっても、忍耐によっても、沈黙によっても、言明によっても、その他どんなふうに対処してみてもどうにもならない事態、状況は幾つもあるのです…。

そんな中で真面目な人はとまどいや葛藤、苦痛や悲憤を覚えるのは当然でないかと思います。しかしそれでも、なお「人をさばくな。」の聖書のみことばに心を留めながら歩んでいくことは、とても大切なことだと思います。

最終的に人をさばくのは神さまですし、正しいさばきは神さましかできないのですから、よくよく慎んでいきたいと思います。

何はともあれ、過ぎた日のまちがいや失敗を神さまにゆるしていただいて、新学期の始まるこの9月!新たな思いで、聖書の光に導かれつつ、愛ある生き方に励みたいものだと思います。

私たちの「キャメラル」をも、「チャラメラ」をも、「カダメル」をも忍んで、愛をもって受けとめて「キャラメル」と正確に言えるような歩みへと導いてくださる神さまに頼って、互いを大切にしながら共に感謝しつつ、進んでいきたいと思います。